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【キングダム】心を揺さぶる合従軍編の名シーンまとめ!名言と共にプレイバック!

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今でも人気の高い合従軍編

どのようにして秦は合従軍を退けたのか。

その過程と共に、心に響く名場面を紹介していきます。

 

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【キングダム】桓騎「全部上手くいく」

函谷関の守備は蒙驁と張唐そして桓騎が任されていました

相対する魏の呉鳳明が開発した、巨大井闌車と巨大床弩や韓の成恢による毒攻撃により、流れは合従軍に傾きつつありました。

特に張唐の持ち場であった函谷関の左は、成恢の毒により参謀は大勢死亡し、張唐も毒に侵され指示系統が機能していない状態でした。

それを察知していた呉鳳明は、張唐の持ち場に巨大井闌車を利用し橋を架けてしまいます

張唐の持ち場はピンチに陥りますが、ここで張唐とは犬猿の仲であった函谷関の右を守っていた桓騎が援軍として到着します。

そして、魏の甲冑を着て魏の井闌車を逆に利用して地上に降り立つのです。

傾きかけた流れを取戻すべく、韓軍総大将成恢の首を取りに何万もの敵陣の中を駆け抜けるのです!

敵だらけの中を駆け抜ける事が可能なのか?

心配する部下に桓騎は笑いながら言います。

心配するな。全部上手くいく

その自信に満ちた表情と言葉を、桓騎の部下は微塵も疑わず着いて行くのです。

桓騎の部下はよほど桓騎を信頼していたのでしょうね。

そして、たった400騎で五大将の一人、韓軍総大将成恢を討ち取る事に成功するのです。

残虐非道な桓騎ですが、そのカリスマ性と知略の深さは特筆すべきものがありますね

 

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【キングダム】張唐「秦国一の武将となれ」

桓騎が魏の井闌車で地上に降り立ち、敵の大海原を駆け抜ける中、成恢の毒により瀕死の重傷であった張唐も桓騎の策に乗り追従します。

成恢の毒で張唐軍の参謀達は次々に死亡し、張唐の命も風前の灯火でした。

武人として生きてきた張唐は、毒で死ぬのではなく、戦場で戦って死にたかったのです。

桓騎張唐の連合軍、総勢400騎で魏と韓の大軍を駆け抜け、成恢の本陣を目指します。

本陣間際になると流石に怪しまれ、武力突破になります。

張唐は成恢軍の毒矢を再び食らってしまいますが、武人として死ぬ事を望む張唐の執念は、毒などには負けませんでした!

背を向けて逃げる成恢を一刀両断するのです!

討った張唐はもちろん見事でしたが、討つ事が出来たのは桓騎の大胆不敵な策のお陰でした。

張唐は、元野盗であった桓騎の考えや行動が好きになれず、認めたくはなかったはずですが、秦には桓騎の力が必要と分かったのでしょう。

秦国一の武将になれ

秦を頼むぞ

そう告げると笑いながら息を引き取りました。

 

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【キングダム】信「ちょっとだけ、つかまらしてもらっていいか」

秦の国門である函谷関を抜く事が困難になった合従軍でしたが、李牧は奥の手である南道ルートから攻め込みます。

南道は大軍で攻めるには足場も悪く狭すぎるルートになっていました。

その上強固な防衛都市が多く、攻め落とす事が難しかったのです。

なので、秦を攻める時は困難であろうとも函谷関から攻めるのがセオリーでした。

そんな南道ルートから攻められる事を全く想定していなかった秦は、為す術もない状況に困惑していました。

李牧の南道ルート攻めに気付いた頼みの綱であった麃公も龐煖に討たれ、麃公と共に李牧を追いかけてきた信は、麃公の指示によりボロボロになりながらも咸陽を目指します

そして咸陽の喉元の城である蕞に辿り着きます。

途中に3つの城がありましたが、李牧に落とされており素通りするしかありませんでした。

信も飛信隊も全員が身も精神もボロボロに疲弊していました。

諦める事と仲間を見捨てる事をなにより嫌う信でさえ、下を向いたまま一言も喋れませんでした。

元は合わせて5千人はいた兵士も、蕞に着くまでにその数を2千人弱にまで減らされていました

麃公も殺され、希望が全く見いだせなかったのです。

しかし、暗闇しかなかった信の前に一筋の光が差し込みます!

蕞の城門をくぐった先に見えたのは、なんと政の姿でした。

王宮にいるはずの秦王である政や昌文君、そして王宮兵達が信の目の前にいたのです。

そして、信と共に李牧軍と戦うと言うのです。

勝てる見込みが全くなく、戦う事すら出来ないと思っていた信は思わず涙します。

まだ戦えるんだな・・・

希望の光が見えて、力が抜けてしまったのでしょうか・・・

ちょっとだけ つかまらせてもらっていいか・・・

そう言うと政の肩に寄りかかります。

何度も信に助けてもらってきた政は言います。

気にするな。俺はもう何度もお前につかまっている

2人はお互いになくてはならない、かけがえのない存在だという事を、あらためて思い知った瞬間だったのではないでしょうか。

 

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【キングダム】蒙武「この蒙武の倅だ!その程度では死にはせぬ!」

合従軍戦において、王騎亡き後の秦国最大武力を誇る蒙武の役目は、合従軍の武の象徴である楚の汗明を討つ事でした。

秦国総司令官である昌平君は、蒙武軍を動かさずに楚の先陣を騰軍で打ち破り、無傷の蒙武軍を汗明軍にぶつけるという作戦を立てます。

騰はその期待に見事に答え、楚の第一陣を破ります。

その騰軍と楚の第二陣の戦いがはじまる頃、ようやく蒙武が動きます。

その相手はもちろん汗明軍です。

汗明軍相手に蒙武はなんと、高度なテクニックを要する「斜陣がけ」を仕掛けます。

これには敵味方問わず全員が驚きました。

それもそのはず、蒙武は猪突猛進型の武将で、策などとは無縁だったはずなのです

しかしながら、これが意外に上手くいき、汗明軍は両端に兵力を集中させます。

斜陣がけの狙いはそこでした。

両端に兵力を集中させた汗明軍は中央が薄くなり、汗明までの道が出来たのです。

蒙武は汗明までの道を一気に進み、あっという間に汗明まで辿り着きます。

そして、元六将の王齕でさえ敗れた相手、汗明を一騎打ちで討ち取るのです!

しかし、一騎打ちの最中に邪魔に入ろうとした者を息子である蒙恬が止めようとし、蒙武と汗明の間にはいってしまいます。

そのせいで、汗明の剣によって斬られてしまい、瀕死の重傷を負ってしまっていたのです。

既に助からないと思った側近たちは、最後に蒙恬に声をかけて欲しいと蒙武に頼みます。

しかし蒙武は「そいつにかけてやる言葉などないわ!

と冷たく言い放ちます。

しかし「死にはせぬ!

この蒙武の倅だ!その程度では死にはせぬ!

と叫ぶのです!

冷たく言い放ったのではなく、むしろ信じていたのですね。

全然似ていなくてもやっぱり親子ですね!

 

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【キングダム】騰「中華をまたにかけた大将軍王騎を傍らで支え続けた自負がある」

蒙武を無傷で汗明軍にぶつけるためには、先陣である騰が楚の第一陣である臨武君をうち取らねばなりませんでした

臨武君を討ち取るのに絶対の自信があった騰ですが、楚の若き千人将である白麗の弓により、鱗坊は討たれ、録嗚未も白麗の弓を気にしながら臨武君を相手にせねばならず、苦戦を強いられます。

それを見た騰が本陣より出陣し、独特の剣技「ファルファル剣」で一気に臨武君まで辿り着きます。

幾度もの修羅場をくぐり抜け、楚で将軍に上り詰めた事により、自分の武力に絶対の自信を持っていた臨武君でしたが、騰に押されはじめてしまいます。

臨武君は自分の武が通用しない事に納得がいきませんでした。

なぜ俺の力が通じぬ。王騎の傘で戦ってきただけの男に!

騰が答えます。

その傘を支え続ける事の凄さは考えぬのか

私には、中華をまたにかけた大将軍王騎を傍らで支え続けた自負がある

そんな自負など認めないと、臨武君は騰に襲いかかりますが、王騎を支え続けた騰の実力は本物で、見事に臨武君を討ち取るのです!

おちゃらけキャラの騰の真の実力を思い知った戦いでした。

 

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【キングダム】昌平君「取るに足らぬ小事です」

合従軍が函谷関を抜く事が実質困難な状況になり、秦の王宮内は歓喜に沸いていました。

そんな時に届いた凶報。

李牧が南道ルートから咸陽に迫っていたのです。

次々と城は落とされ、なす術がない状況に陥ってしまうのです。

李牧軍3万の侵攻を止める為に、国王である政自らが蕞に出陣します。

蕞の住民3万を戦う民兵にする為でした。

その事が王宮内で知れ渡ったのは既に政が出陣した後でした。

敵対している呂不韋も寝耳に水でしたが、前日に自分の側近の一人である昌平君と政が2人で会っていたとの報告を受けていました。

国王政が単独での判断にしては思い切りが良すぎると感じた呂不韋は昌平君に訪ねます。

よもや何か助言のようなものをしたのではあるまいのぉ、我が四柱の一人昌平君よ

昌平君は答えます。

私は秦軍の総司令でもあります。

今、それ以外の事は取るに足らぬ小事です

主である呂不韋に対してのこの言動に、周りの重臣達は大いに驚いていました。

昌平君は政の味方になるのでは?と思った方も多かったのではないでしょうか。

 

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【キングダム】政「最後まで戦うぞ、秦の子らよ」

李牧の奥の手である、南道ルートからの侵攻に秦は全く為す術がありませんでした。

咸陽には李牧軍を迎え撃つ戦力はなく、咸陽までの最後の城である蕞で食い止めねばなりませんでした。

しかし、蕞には3万人の人口がいますが、迎え討つ戦力はなく、戦えない怪我人や老人、女や子供がほとんどでした。

国王である政は自ら蕞に赴きます

兵士ではない3万人の住民で李牧軍を迎え撃つ為でした。

無謀とも言える作戦ではありましたが、他に方法はありませんでした。

全住民を集め、昌文君が国王である政を紹介すると、住民は自然とひざまずき、泣き始めます。

性はそんな住民一人一人に語りかけるように喋り始めます。

3万の軍勢で李牧と龐煖が迫っている事、咸陽には迎え撃つ準備が無い事、蕞の住民で食い止めないといけない事。

政の言葉に少しずつ住民が立ちあがります。

そして国王である政も共に戦う事を伝えると、住民達は戦う事を決意します

最後まで戦うぞ、秦の子らよ

我らの国を絶対に守りきるぞ!!

政がそう言うと住民の士気が爆発するのです!

国王自らが自分達の事を、「秦の子」と言ってくれたこは、住民にとってこの上ない幸せだったのではないでしょうか。

 

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【キングダム】麃公「火を絶やすでないぞォ」

誰も想像しなかった李牧の南道からの攻めに、唯一気付いた武将がいました。

本能型の武将、麃公でした。

麃公は自軍と飛信隊の計3千を引き連れて李牧を追います。

途中の城で兵士を加えつつ走り、その数は5千人にまで膨れていました。

そして、李牧軍に追いつくと背後から急襲します。

狭い道幅の南道を麃公軍と飛信隊は突き進みます。

李牧は「流動」という陣で追いかけてきた秦軍を分断し、麃公を討ち取ろうとしますが、麃公の本能は更に上をいき、流動を見破り李牧の眼前に現れます

さすがの麃公でしたが、目の前に王騎や摎を討ち取った龐煖が現れてしまいます

龐煖と麃公の一騎打ちは序盤から龐煖が圧倒的優位に進めます。

麃公は片腕を斬られてしまい、勝てる見込みは全くありませんでした。

麃公を助けようと敵陣突破をはかる信に自身の盾を託し、咸陽へ行くよう指示を出します。

まるで死を覚悟したかのようでした。

しかし、最後に秦国将軍の意地を見せ、王騎同様に片腕一本で龐煖を押し込みます。

跳ね返されはしますが、それこそ麃公の狙い通りで、麃公は龐煖の左腕を極め、折ってしまうのです。

それが麃公の最後のあがきでした。

童 信!

火を絶やすでないぞォ

そう信に伝えると、龐煖にとどめを刺され、この世を去りました。

戦場で生まれたと豪語する程、戦場が大好きだった麃公でしたが、今後の秦国を担う若者である信に出会え、戦場で死ぬ事ができ、本望だったのかもしれませんね。

 

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【キングダム】楊端和「黙って貴様らは敗者として史に名を刻め」

当初は初日を守り切る事さえ困難なのでは?と思われていた蕞での攻防戦も6日が経ちました。

そして7日目、ついに城門が破られてしまいます

もはやここまで・・・

蕞が落ちてしまうのです。

しかし、ここで奇跡が起きます。

いち早く気付いたのは信と政でした。

西の方角に山の民が現れたのです!

政は元々山の民に援軍を要請していましたが、その時山の民は北の大勢力であるバンコ族と戦う為に遠征中だったのです。

伝令が届くのかも不透明で、しかもそこから蕞に来れたとしても8日はかかる計算でした。

しかも秦を助ける為には、バンコ族との戦いを放棄しなければいけません。

山の民が蕞に来てくれるかどうかはある意味賭けだったのです。

しかし、山の民は秦を助けに来てくれました。

しかも予想よりも1日早い7日で来てくれたのです。

頼みの綱の龐煖も信によって深手を負わされ撤退を余儀なくされます

そしてこの瞬間、李牧は自分の負けだと悟ります

李牧の部下である普成常が殿を務める事となり、山の民に前に立ち塞がります。

普成常は山の民に対して、秦がもう少しで滅亡するはずだったのを邪魔し、中華の歴史を変えてしまった事を一喝します。

しかし、楊端和は涼しげに言うのです。

黙って貴様らは敗者として史に名を刻め

さすがは楊端和・・・カッコ良すぎですね!

 

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【キングダム】信「ちなみに俺は百を見せてやる!」

蕞での攻防戦は一つの鍵と言われた初日をなんとか凌ぎきります。

その後も、多くが民兵である秦軍は李牧に翻弄されながらも、その士気の高さで李牧軍の攻撃を跳ね返し続けるのです。

そこにはやはり国王政の力が働いていました

李牧軍の夜襲に見せかけた雄叫びや大きな物音など、攻撃の「ふり」を受け、住民は寝付けないでいました

どうせ寝付けないのならと、政は四方の壁を激励に訪れるのです。

その行為に民兵の士気は更に高まり、李牧軍を跳ね返し続けるのです。

しかし、5日目に異変が起きます

民兵が突然倒れ始めるのです。

士気の高さで保たれていた意識が限界を迎えてしまったのです。

次々に倒れていく民兵の前に、なんと政が現れたのです!

倒れるな!まだ戦いは終わっていない!

政の激に再び民兵が息を吹き返します。

しかし、次の瞬間悲劇が起きてしまいます。

政が討たれてしまうのです!

間一髪のとことで信が救い、一命を取り留めますが、首を斬られ血が吹き出し、かなりの深手を負ってしまいます。

しかし、士気に関わるからと立ち上がるのです。

そして六日目。

完全に士気を失った民兵達は力なく倒されていきますが、深手を負いながらも士気を回復させる為に政が現れるのです。

政の姿を見た民兵達は再び士気を爆発させ敵を跳ね返し始めます

民兵は持っている十の力の倍の二十を出して戦っていました。

それならば飛信隊は三十を出して戦う!と信は叫ぶのです!

ちなみに俺は百を見せてやる!

信の鼓舞は飛信隊を何度でも復活させるのです!

どんな状況においても諦める事を知らない信。

そして信を信じる事を辞めない飛信隊の隊員達。

全員の諦めない心、そして仲間を信じるその気持ちが七日目の山の民の援軍到着という奇跡を生むのです。

 

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【キングダム】龐煖「名を覚えておくぞ」

蕞での攻防戦7日目に山の民が秦を助けに到着します。

圧倒的攻撃力で次々と李牧軍をなぎ倒していく山の民。

この時点で李牧はこの戦いは自分の負けだと悟ります

自軍と同数の3万の山の民の援軍。

もし勝てたとしても自軍の被害も甚大で、咸陽を落とす戦力は残らないと予想したのです。

しかし、蕞から撤退するという事は合従軍の敗北を意味します。

李牧が撤退を躊躇する中、龐煖が山の民の前に立ち塞がります。

そして、その龐煖の前に飛信隊隊長の信が立ち塞がります

信に多大な影響を与えてくれた2人の将軍、王騎と麃公。

その2人を討ち取った龐煖。

信は馬陽の攻防戦の時に一度龐煖と戦っています。

その時は羌瘣と2人がかりでも手も足もでませんでした。

信が大将軍になる為には、王騎や麃公を超えるには倒さねばならない因縁の相手龐煖

龐煖と信の一騎打ちが始まります。

序盤で龐煖の強烈な一撃を喰らいますが、廉頗という天下に名だたる大将軍の一撃を受けた事のある信には、その時ほどの重さを感じませんでした

麃公との戦いによって片腕が使えない龐煖の振り下ろす矛を、本来力では敵うはずのない信の剣が弾き飛ばします!

その勢いのまま龐煖の胸に剣を突き刺すのです!

しかしまだ浅い!

龐煖が放つ突きを、龐煖の視界から消える程高く飛び、龐煖の顔を斬りつけるのです!

龐煖も意地を見せ信を弾き飛ばしますが、相当なダメージを負ってしまいます。

そんな時、李牧が全軍に撤退を指示したのです。

さすがの龐煖もこのまま戦い続けては命を落としかねませんでした。

やむなく撤退を決意します。

今一度だけ見逃す だが・・・名を覚えておくぞ 信

王騎や麃公をも討ち取った龐煖が信を敵と認め、完全に信をロックオンした瞬間でした。

 

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まとめ

合従軍編は数々の名場面を残してくれました。

新たに台頭してきた武将。

また、散って逝った武将。

実質この戦いが、秦の中華統一の始まりだったのかもしれませんね。

今後も熱い戦いを期待しましょう!

 

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