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【キングダム】政が始皇帝になった後も話は終わらない!?乱世から平和の世へ!始皇帝に対する作者のこだわりとは?

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野望である中華統一を成し遂げ、始皇帝になる嬴政。

キングダムは中華統一後、嬴政が始皇帝となり15年後に秦国が滅びるところまで描く予定でいると作者の原先生は語っています。

史実に記される始皇帝とキングダムで描かれる未来の始皇帝である嬴政、原先生の始皇帝に対するこだわりとはどんなものなのでしょうか?

今回は、史実における始皇帝、キングダムで描かれる始皇帝(嬴政)についてご紹介します。

 

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【キングダム】そもそも始皇帝とは?

始皇帝は、中国史の中で最も有名と言っても過言ではない皇帝です。

趙の首都である邯鄲に生まれ、父親の死去によりわずか13歳にして秦国王となり、いくつもの国を滅ぼすのと同時に法家の思想家である李斯を起用して法治国家の整備を行い、38歳で秦国王として中国史上初めて中華統一を成し遂げました

中華統一後は世襲の帝位である「皇帝」という称号を自ら考案し、貨幣・度量衡・文字の統一事業、思想の統一を図ろうとしたことや、遊牧民族などに攻め込まれることを考慮し、土木工事を精力的に行ったことも知られています。

万里の長城もその一つですが、土木工事に数十万人規模を動員し、多数の死者も出していたそうです。

 

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【キングダム】中華統一を志す嬴政

嬴政は乱世の世を終わらせ、平和な世をつくるために中華統一を志しています

勢力を持っていた弟・成蟜による反乱や呂不韋陣営との対立など、若くして秦国の王となった嬴政は度々命を狙われますが、常に現実的に物事を捉え判断していく姿はかつて戦神という異名を持っていた秦王・昭王を超える素質であるとも言われています。

 

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【キングダム】漂を通じて信と出会う

嬴政と主人公・秦の出会いは、嬴政の家臣である昌文君が嬴政と瓜二つの顔立ちをしている漂を見つけたことがきっかけでした。

当時弟・成蟜に命を狙われていた嬴政は、影武者として漂を王宮に迎え入れます

漂は王宮に入ってから自分は影武者として迎え入れられたという事実を知らされますが、将来天下の大将軍になるための大任であると快諾するのです。

予定通り決行された脱出作戦は失敗に終わり、漂は瀕死の状態で信の元に現れます。

そして、信に頼みがあると一枚の地図を渡しその場所へ行けと告げました。

地図を元にたどり着いた場所に居たのが、漂と瓜二つの顔をした嬴政だったのです。

 

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【キングダム】大きな壁となる各国の武将たち

中華統一を志す嬴政ですが、野望を阻もうとする各国の武将たちがいます。

現時点で、最も大きな敵と言えるのは趙国の李牧でしょう。

鄴攻めの戦いでは秦国が勝利し、李牧は趙国で囚われの身となりますが、今後も何かしらの行動を起こす可能性は考えられます。

既にキングダムで登場している各国の武将たちが強力な敵として登場することはもちろん、史実通りにキングダムが展開していくとすれば、まだ登場していないキャラクターが大きな壁となって立ちはだかることとなるでしょう。

 

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【キングダム】昔のジャンプらしい熱い展開の連続

キングダムは紀元前770年から紀元前221年までの春秋戦国時代が舞台となる漫画ですが、描かれる国や時代は関係なく、少年が成長していく姿や男同士の熱い友情など、昔のジャンプらしい熱い展開の連続が読者からの支持を集めています

キングダムの作者である原泰久先生は、ジャンプの黄金期と呼ばれる「ドラゴンボール」や「キン肉マン」、「北斗の拳」が掲載されていた時期にジャンプを読んで育った世代でもあることから、自然と影響を受け、ジャンプの王道の要素が作品に現れているのでしょう。

 

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【キングダム】史実では始皇帝は暴君?

史実では、始皇帝は人に対して恩を感じることはほとんどなく、虎狼のように非常に残忍な性格であったと記録されています。

秦国王として権力を手にした後は驚くほどの勢いで民族と国を征服・支配し、中華統一後も遊牧民族などからの侵攻を防ぐため多くの犠牲を出しながらも土木工事を精力的に推し進めるなど、記録の通り残忍な性格であることが伺えます。

また、始皇帝が暴君であるというイメージを最も印象づけるのが焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)です。

焚書坑儒は秦国以外の歴史が記された書を焼き、儒教など思想が記された書はわずか一部しか残されず、さらには儒者や世間をたぶらかすおそれのある者を穴埋めにするというものです。

焚書坑儒により思想の統一を図ったことが始皇帝を暴君と言わしめる所以です。

キングダムの嬴政と同様、史実における始皇帝の幼少時代は苦悩に満ちたもので、そういった過去や経験が「残忍」「暴君」といったイメージを与えてしまう人格を形成したのかもしれません。

 

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【キングダム】中華統一直後に滅んでしまった秦国

秦国は、始皇帝が中華統一を成し遂げてからわずか15年で滅びてしまいました

命を落としてしまうほどの過酷な土木工事や、書を焼き払い儒者や世間をたぶらかすおそれのある者を穴埋めにする焚書坑儒により、民たちは始皇帝に対して不満を抱いていました。

始皇帝の死は、自らが始皇帝であることをアピールするために中華全土を五回にも渡り大巡幸したことによる疲労や、不老不死を望み、水銀を不老不死の薬だと信じて服用し続けたことであるとされています。

始皇帝の死後、始皇帝を超える独裁的な胡亥が後継者となったことにより、民は軍をつくり、王都咸陽へと迫る大規模な反乱を起こしました

最終的には咸陽の宮殿に火が放たれ、秦国は滅びてしまったのです。

 

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【キングダム】原先生によって始皇帝のイメージを覆した?

キングダムの作者である原先生は、間違いなく始皇帝のイメージを覆したと言えるでしょう。

キングダムで描かれる嬴政の容姿や性格は、史実に記録される始皇帝とは全く異なる印象を与えます。

史実に記された始皇帝の容姿は、鼻は高く尖っていて眼は切れ長、胸は鷹のように突き出ていて声は豺(やまいぬ)のようだとされています。

一方、キングダムで描かれる嬴政は大きな目が特徴的で、美しく整った顔立ちです。

史実の始皇帝と同様、幼少時代は趙国への人質として苦悩に満ちた生活を送っていますが、女商人の紫夏と出会ったことで人としての心を取り戻すことができました。

戦乱の世を終わらせるために中華統一という野望を持ち、王としての威厳やカリスマ性を持ち合わせている嬴政は、周囲の家臣だけでなく、秦国の将軍や民、他国の敵将や王からも一目置かれる存在となりつつあります。

自身の野望を叶えようとしながらも、民を思う強い気持ちは史実に記されている始皇帝の残忍・暴君といったイメージからは大きくかけ離れていると言えるでしょう。

 

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まとめ

史実における始皇帝と、キングダムで描かれている嬴政はキングダムが史実を元に描かれているため共通点はありますが、容姿や性格、王としての資質や立ち振る舞いなど異なる点も多くあります。

史実での始皇帝は残忍で暴君といったイメージが強く、中華統一後は民たちからの不満や反発を受けることになりますが、キングダムの嬴政は中華統一後も家臣や民たちから愛される王になるのではないかと思えるキャラクターです。

中華統一後もストーリーは続くと語っている原先生。

原先生がこだわりを持って描く嬴政が中華統一まで、そして中華統一後どのような道を歩んで行くのか、今後も目が離せません。

 

読者の皆さまがこの後に読んでいる記事はこちらです。

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