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【キングダム】政の異母弟!成蟜(せいきょう)とはどんな人物?クーデターを起こした理由は?その最期は?

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中華統一を目指す嬴政。

その腹違いの弟として、王族以外を蔑視する成蟜(せいきょう)がいます。

しかし、そんな彼も物語の中で成長を遂げていきます。

彼の生涯について述べていきます。

 

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【キングダム】歪んだ性格でわがまま放題

成蟜は嬴政と腹違いの兄弟という関係です。

劣悪な環境で育った嬴政とは異なり成蟜は秦で生まれ秦で育った、いわゆる温室育ちのお坊ちゃんです。

そのため周囲は彼をとことん甘やかし、ワガママな性格に育地ました。

また、王族を尊重しそれ以外の人間は卑下する傾向にあります。

但し、嬴政に関しては母親の身分が低く育ちが卑しいことから蔑視していました。

 

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【キングダム】好評価の政に王座を取られクーデター

成蟜は普段から王族以外を賤視していたこともあり、周囲の評判はすこぶる低いものでした。

そこへ嬴政が趙から秦に舞い戻ってきた時に、自分の取り巻き連中が嬴政に鞍替えをしました。

成蟜にとって嬴政は王族といえども育ちは貧しく彼が自分の上に立つことは我慢できませんでした。

そこで、一方的に嬴政への敵対心から成蟜の反乱へと繋がっていきます。

 

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【キングダム】楊端和の協力を得た政に敗北

成蟜によるクーデターから逃げた嬴政は、「山の民」の王、楊端和の協力を取り付けます。

そこで山の民の軍勢に紛れた嬴政は成蟜側に協力するふりをして王宮に潜入することに成功します。

成蟜側は呂不韋との今後の戦いでより強大な兵が必要であり「山の民」の協力は渡りに舟だったのです。

そして、王宮に入り武器を取るように言われた段階で、嬴政が動きます。

山の民が一気に王宮奥に入り丞相竭氏の首と成蟜を捕らえるよう王宮の成蟜側の勢力と戦います。

戦いの中で、巨人ランカイなど強敵が阻みますが、信や嬴政たちは成蟜側の丞相竭氏の首を最終的に得ることできます。

結果として成蟜は嬴政の反乱に敗れることになります。

 

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【キングダム】政の鉄拳制裁と成蟜の幽閉

嬴政は成蟜側の軍と戦いを繰り広げて辛勝ながらも勝利を得ます。

この戦いで多くの人間が血を流したのですが、成蟜は生まれが全てという価値観を捨てきれず周りを見ようとしませんでした。

嬴政からは

「世を知らぬ人を知らぬだからはお前はいつも唯一人だ!」

と喝破されます。

そして嬴政によって

「人の痛みを知れ」

と言われ鉄拳制裁を食い事態は収集します。

この後は反乱を企てた成蟜やその他の家臣たちは幽閉されます。

 

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【キングダム】趙軍との戦いでの王都を任される

合従軍の時、秦は滅亡寸前のところまで追い詰められます。

そして、李牧率いる趙軍が「蕞」を陥落させて王都咸陽に入ろうと策略を練ります。

そして、蕞を防衛するために嬴政自らが乗り込むことになります。

この時に裏で手を引いていたのは呂不韋です。

呂不韋が嬴政不在の玉座に座ろうとしたところを成蟜が

「王族以外座るな」

と登場します。

これは成蟜の暴走でもなんでもなく、戦いのために最前線に向かう嬴政自ら、空いた玉座を守るように成蟜に頼んでいたのです。

幽閉を解かれた成蟜は、同じ王族であるということのみならず嬴政自身の存在に惹かれはじめ、嬴政に協力的になります。

 

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【キングダム】ずっと側にいる瑠衣とは?

成蟜には第一夫人の瑠衣がいました。

嬴政が咸陽に来た際にはすでに結婚していたので、長く結婚していたと思われます。

また、瑠衣の大ばばとも面識があり幼い頃からの許嫁の存在でした。

成蟜は瑠衣が帰省する時には祝いの品を送るなど瑠衣側の家にはひとかどならぬ思いがあったと言えます。

また、瑠衣が屯留に帰省した際に趙軍が攻めてきたので妻を救うべく軍勢をあげます。

成蟜なりに妻を愛していたのだと思います。

 

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【キングダム】屯留への出撃と呂不韋の策略

お互いの関係も良好になり、成蟜自身も政の考えや信念に突き動かされ変わっていきます。

しかし、そんな成蟜に災難が降りかかります。

嬴政の命令で趙の屯留という場所の攻略に向かうのですが、なんと成蟜が屯留で軍を起こしクーデターを起こしたというのです。

これには裏があって、実際には成蟜は捕らえられ、成蟜名義でクーデターを起こしたかのように見せかけられていたわけです。

裏で糸を引いていたのはもちろん呂不韋です。

そして、この反乱の最中で成蟜は命を落としてしまいます。

なお、史実では当然ですが呂不韋との攻防などは記載がありません。

『史記』始皇本紀では以下の記載があります。

紀元前239年(始皇8年)、長安君成蟜が軍を率いて趙を攻撃したとき、屯留・蒲鄗の兵卒を従えて謀反した。

秦がこれを攻撃すると、成蟜は屯留で死に、軍吏はみな斬り死にし、その民は臨洮に遷された

 

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【キングダム】瑠衣への想いとは?

成蟜は屯留の戦いで命を落とします。

そして命が事切れる前に妻の瑠衣に

「俺は お前と初めてあった時…」

「あの時から」

「ずっと」

「お前に惚れている」

と告げます。

そして瑠衣も

「知っています」

と言い、最後

「それならいい」

と言い死にます。

成蟜の愛情の深さを物語るエピソードです。

 

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まとめ

最初は、王族以外を軽く見ていた成蟜ですが、最終的に嬴政の夢に協力します。

そして、道半ばにして死にますが、最愛の妻のもとで死にます。

成蟜の人間的成長は私たちに感動を与えてくれます。

 

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