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【キングダム】毐国(あいこく)は実在した?建国した人物やきっかけとは!?

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函谷関の戦い、成蟜の反乱、著雍攻略戦と息つく暇がないながらも前進しつづけていた秦にとって、あまりに思いがけない出来事となったのが国(あいこく)の建国でした。

国の建国と反乱は他国にとって有益ともなるもので、あわや秦が内部から崩壊する寸前となった大事件となります

長く続いた政と呂不韋の対立が決着するきっかけとなったエピソードでもあり、政の母との長年のしがらみが断たれる名エピソードでもあり、史実にも存在する重要な出来事でもあるので是非理解しておきたいところ。

そこで本記事では国を建国した人物とその結末など、37~40巻で描かれた国建国から滅亡までを詳しくまとめていきます! 

 

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【キングダム】毐国(あいこく)とは?

国(あいこく)は秦国の北方につくられた国で、趙国と隣接する位置にあります。

元は秦極北の都市・太原で、始皇8年(紀元前239年)に秦太后と嫪毐(ろうあい)によって「太原一帯を国とする」と勝手に建国が宣言されました

そして秦政府からの勧告を無視しながら国力をつけていき、翌始皇9年(紀元前238年)に加冠の儀で手薄になった咸陽へ向けて挙兵。(嫪毐の乱)

しかしそこで鎮圧・滅亡し、非常に短命な国家となりました

 

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【キングダム】毐国(あいこく)を建国した人物とは?

国(あいこく)は秦太后の指示により、嫪毐(ろうあい)を君主として建国が宣言されました

宣言だけで実を結ばないと思われていた建国でしたが、宦官・趙高が土台を作りながら、王族身分と莫大な財力により秦内外問わず有能な文官を集め、人や資金を集め、他国の協力も得ながら独立国家としての体を形作っていきます。

そして秦の反乱分子や秦を敵とする列国からの援助により日に日に国力が増大していきました。

しかしそれは建国した太后と嫪(ろうあい)の予想を越えたものとなり、彼らの想いとは裏腹に国(あいこく)は大臣・虎歴の暗躍により咸陽攻略への画策が為されていくことになります

 

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【キングダム】毐国(あいこく)を建国したきっかけとは?

国(あいこく)建国は秦が死闘の末、山陽に続く魏の重要地・著雍を奪い取った後に起きました

この時秦は著雍を魏攻略の不動の拠点とするため大要塞を築こうとしていたところ。

そこへ突如雍で隠遁していたはずの秦太后・趙姫が現れ、山陽・著雍を後宮勢力の財力で支えると申し出てきたのです。

その提案は著雍の築城などで莫大な資金が必要だった秦にとって悪くないものではありましたが、太后の強引な決定と共に“嫪毐(ろうあい)を山陽長官に据える”という条件を呑むことにもなってしまいました

れが国(あいこく)建国への第一歩。

と共に山陽入りし一帯の主導権を握った太后は、著雍や山陽の兵をはじめ各地の流民や武器を次々に太原へ集めていったのです。

そうして土台を作った上で太后と嫪(ろいあい)も太原に入り、堂々と国建国を宣言してしまったのでした。

対し秦の中央政府は対応しかねることに。

先の内乱(成蟜の変)から半年しか経っていないため鎮圧軍を挙げることに躊躇いがありますし、国の整備と拡充に努めなければならず財力を無駄にできないからです。

また、著雍の人員を大量に引き抜かれたことで対魏の最前線に余裕がなくなった上に、国が秦を挟んだ向かいにある楚と手を組んだことでそちらにも対応に追われ、その間に国は国として日増しに力をつけていったのでした。

 

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【キングダム】毐国(あいこく)は実在した?

国(あいこく)は『史記』にも登場する国

始皇8年(紀元前239年)~始皇9年(紀元前238年)に存在した国家で「嫪毐(ろいあい)が建国し、秦に対して反乱を起こし、それに備えていた政の命を受けた昌文君・昌平君により鎮圧され滅亡」という概ね『キングダム』に描かれている通りの歴史を辿っています

 

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【キングダム】嫪毐(ろうあい)とは?

嫪毐(ろいあい)は、色欲に狂う太后から執拗に求められていた呂不韋が自身の代わりに太后にあてがった男性

呂不韋の後ろ盾により宦官になりすまして後宮入りし、太后の伽だけに従事するようになりました。

嫪毐がその役に選ばれた理由は、車輪を通して回せるほどの強靭な男根を持っていたから

元は普通の下級文官の家に育ち、体力もなく頭も悪くいじめられるような幼少期を過ごし、女性にも相手にされず、父の人脈で何とか下級文官になれたような何の取り柄もない人物でしたが、人並み外れた巨根がこうして思わぬ転機を呼ぶことになったのでした。

性格としては素朴で誠実。

初めは色に乱れ狂う太后を恐れていましたが、ある日の伽で太后が涙する姿を見て彼女の抱える苦しみを感じ取り、彼女に忠誠を尽くすようになりました。

史実でも嫪毐は、巨根によって呂不韋に見いだされ後宮入りし太后の寵愛を受けていた、国を建国し反乱を起こそうとした、など概ね『キングダム』の通りです。

 

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【キングダム】太后とは?

太后(趙姫)は秦の先代・荘襄王の后であり、政の実母です

かつて清純と気品に満ちた美貌を持つ絶世の美女として「邯鄲の宝石」「美姫」と呼ばれた一流舞姫で、皆に愛される存在でした。

呂不韋もその一人であり、求婚の末に2人は生涯を誓う恋人同士になります。

ところが突如呂不韋が自身の処世のため、趙にて人質になっていた秦の子楚(後の荘襄王)に趙姫を引き渡したことで彼女の人生が一変。

この頃長平の戦いにより秦趙間がより悪化したこともあり、趙姫は子楚との間に産んだ政と共に邯鄲にて不遇の生活を過ごすことになります

侮辱と虐待にさらされ、地べたを這いずるが如き生活を強いられたことで、趙姫は我が子すら憎むほど憎悪に歪んでいきました。

趙姫は秦太后となってからもその歪んだ性格は戻らず、政への愛情も見出せませんでした。

史実でも太后は概ね『キングダム』通りですが、やはり呂不韋や嫪毐とのエピソードから「淫乱」「悪女」というイメージが強く残されています

ちなみに趙姫とは「趙から来た姫」という意味で、姓および諱は何故か不明です。

 

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【キングダム】嫪毐(ろうあい)と太后の関係性とは?

(ろうあい)は太后の姓欲処理のために呼ばれた存在。

しかしそのうちに嫪毐は太后の中にひと知れない苦しみを見つけ、太后も嫪毐の誠実な優しさに触れていきました

そんな2人の間に子供ができます

それは後宮の禁を破る大罪であり、秦の王位継承権を乱す禍…公になればいくら太后でも断罪は免れない破滅の道ではありましたが、それでも太后は生む決断をしました。

何故ならそこに心の平穏を見出したから。

その願望の先にあったのが国(あいこく)建国なんです。

太后はかつてのわだかまりから離れ、嫪毐と子どもたちとの心休まる安住の地を作るために国を建国したのです。

まり太后と嫪毐の作った国に反乱の意志はなかったわけですが、しかし大臣・虎歴ひいては呂不韋に利用され、中央政府への挙兵に追い込まれたのでした。

 

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【キングダム】嫪毐(ろうあい)は死亡した?

事態を予期していた政の対応と昌平君の呂不韋陣営離脱により国の反乱は失敗。

(ろうあい)は生け捕りにされます。

その際、呂不韋の手引きがあったことも含めこれまでの経緯を洗いざらい話した嫪でしたが、しかしこの反乱のすべてを“己の独断であった”と自供しました。

は太后を必死に庇い通したのです。

そしては太后に感謝を述べ、秦の法律で最も重罪を犯した者に課せられる“車裂きの刑”に処されたのでした。

 

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【キングダム】太后は死亡した?

嫪毐(ろうあい)が処刑されるにあたって太后も「全て私が仕組んだことだ」と彼を庇いました。

しかし嫪毐の処刑が覆ることはなく、太后は土下座をもって嫪毐と2人の子どもたちによってようやく安らぎを得たことを訴え、せめて子供たちの命を助けて欲しいと懇願します。

それでも「反乱の芽を残してはならない」という厳しい判断を下され、失意のうちに雍に軟禁されたのでした。

つまり太后は死亡していません

史実では後に咸陽に戻り、10年後の始皇19年(紀元前228年)に死去します。(享年53歳)

 

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【キングダム】毐国(あいこく)は滅亡した?

嫪毐(ろうあい)の処刑をもって国(あいこく)は滅亡しました

敗走した反乱軍も桓騎軍により粉砕。

史実でも「嫪毐や首謀者は車裂きとなり、首はさらされ、その一族も皆死罪となった」となっています

国は様々なしがらみを含んだ、ほんの1年に満たない儚き国家でした。

ただし史実では太后と嫪毐の子も悉く処刑されたとされていますが、事実はどうあれ『キングダム』では2人の子どもたちは政によって城外へ逃がされ、秘密裏に匿われています。

 

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まとめ

国(あいこく)の建国と反乱は秦にとって迷惑極まりないことでしたが、しかし波乱万丈すぎる太后の人生を知ると見方が変わりますよね。

国編は史実がほぼ忠実に再現されていますが、太后と政の関係性、太后の嫪毐と子どもたちに生まれた愛、太后に政との親子関係を責める向など、そこに絡む愛やしがらみが深く描かれているため『キングダム』ではより重みのある面白いエピソードとなっています

政や秦にとっても大きな節目となったエピソードですので、是非国編も注目してください!

 

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2件のコメント

嫪毐が反乱を起こしたのは歴史的事実ですが、それは長信候として起こしたクーデターなので、「毐国」という国を建国した、というのはキングダムのオリジナルと思います。
そもそも、中国で人名から国号をつけた例はなく、違和感があります。国号は地名からとる場合が多いので、例えば「晋」(太原の古名は晋陽)などのような国号なら納得なんですが。
また、「太后はかつてのわだかまりから離れ、嫪毐と子どもたちとの心休まる安住の地を作るために毐国を建国した」というのは、いかにもドラマティックで物語としては面白いですが、嫪毐が反乱を起こしたのは、太后との密通がバレて断罪されそうになったからであって、独立国を作る必要性はあまりありません。

史記始皇帝本紀には、「又以河西太原郡更為毐國。」と書かれており、「黄河の西の太原郡を嫪毐の国とした」となっていますが、この直後の記述では「長信侯毐作亂而覺(長信候嫪毐の反乱が発覚した)」となっており、独立した勢力ではなく、秦の臣下である長信候が反乱を起こした、と書かれています。つまり、前述の「嫪毐の国」というのは、「嫪毐の封地」という意味で、独立した国という意味ではないと思います。

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