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【ダイの大冒険】超人気作を産み出した作者とは?原作者は特撮でも有名人!?監修はドラクエの産みの親?

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この記事を読むとわかること

  • ダイの大冒険の原作者は三条隆(さんじょうりく)先生が描かれています。
  • ダイの大冒険の作画を担当する稲田浩司さんは長期休載を経験しました。
  • ダイの大冒険の監修を務める堀井雄二さんはドラゴンクエストの生みの親です。

名作ゲームでお馴染みドラゴンクエストの作画を描いたのはドラゴンボールやドクタースランプアラレちゃんを描いた鳥山明先生ですね。

ダイの大冒険を描いた原作者も同じドラゴンクエストシリーズだから鳥山先生が描いたと思っている方がいるのではないでしょうか?

ダイの大冒険の原作者は三条隆(さんじょうりく)先生が描かれています

そして大人気漫画ダイの大冒険は三条先生の他にも協力してくれた人達がいたのでジャンプ黄金期時代でも打ち切りとならずに無事に完結する事ができました。

三条先生に協力した人達とは?

三条先生は現在どんな仕事をしているのでしょうか。

現在の三条先生の事について調べてみました。

 

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【ダイの大冒険】原作・作画・監修で役割分担

大人気漫画ダイの大冒険の連載は1989年の少年ジャンプ第45号から連載が開始されました。

原作担当は三条陸先生が担当して鳥嶋和彦さんの紹介で稲田浩司さんが作画を担当して鳥崎さんがドラゴンクエストシリーズの生みの親である堀井雄二さんに三条陸さんが原作漫画を手掛けると話します。

話しを聞いた堀井雄二さんは「彼ならいいよ」と答えたそうです。

ダイの大冒険の監修は堀井雄二さんが担当する事に決定

堀井雄二さん三条先生とは知り合いでどのように出会ったのかは後程ご紹介します。

3人の力が合わさって大人気漫画ダイの大冒険が連載されました。

 

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【ダイの大冒険】3人を結びつけた有名編集者

3人を結びつけた鳥嶋和彦(しまざきかずひこ)さんは有名な方です。

慶応義塾大学を卒業後、昭和51年に集英社に入社した島崎さん。

週刊少年ジャンプの編集部に配属された後はジャンプ連載の記事や書籍の編集を担当します。

漫画以外の企画では「ジャンプ放送局」や「ファミコン神拳」を編集担当したり連載漫画メディアミックス化を手かけたりしました。

ゲームライタのさくまあきらさんやゲームデザイナーの堀井雄二さんをゲームの世界に導いたのが鳥嶋和彦さんです

ドラゴンクエストの誕生にも一役かっている方です。

平成8年に少年ジャンプの売り上げが落ちるのですが、切り札として呼ばれたのが島崎さんです。

戻ってきた鳥嶋さんは編集長に就任

編集長になってからは大人気漫画遊戯王を連載作品のメディアミックスに力強く推し進めました。

鳥嶋和彦さんは週刊少年ジャンプの第6代編集長でもありますがVジャンプ初代編集長でもあります

 

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【ダイの大冒険】作者の三条陸さんとは?

ダイの大冒険の原作者の三条陸先生についてご紹介します。

三条先生は漫画家になる前は月間OUTの誌上企画や投稿欄などを手がけるライターとして活動していました。

ライター名も三条陸ではなく須田留貧(すたるひん)名で活動しています。

月刊OUTの別コーナを担当していたのが堀井雄二さんです。

この時に三条先生は堀井雄二さんと知り合いとなり親交をふかめていきます

鳥嶋和彦さんに稲田浩司さんを紹介されコンビを組む事になってダイの大冒険の原作者となり漫画家となりました

ダイの大冒険の他にも三条先生は漫画を描いています。

三条陸先生が描いた漫画
  • スカイボンバー一直線・デビュー作
  • ダイの大冒険
  • ドラゴンクエストⅣ外伝・地獄の迷宮
  • DQI秘伝 竜王バリバリ隊
  • サイドボーン
  • あまえんぼーZ
  • 冒険王ビィト
  • ギルツ -Guilts the Sun Blade-
  • ラビダビスター!
  • ウルトラマン超闘士激伝
  • 光閃堂がいく!
  • クリメイターズ

 

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【ダイの大冒険】現在は特撮関連で大活躍!

ダイの大冒険が完結すると三条先生は特撮関連の脚本作家となります

初めて脚本作家としてデビューしたのは実写映画「キューティーハニーTHE LIVE」です。

仮面ライダーWでは初参加しながらメインライターも務めている三条先生!

仮面ライダーシリーズだけではなくスーパー戦隊シリーズの獣電戦隊キョウリュウジャーでもメインライターを務めています。

キョウリュウジャーのチーフプロデューサーの大森敬仁さんの話しではプロットや脚本が指定されたページ数通りであり構成がしっかりしているため大きな直しもなかったと評価されています。

仮面ライダーWや獣電戦隊キョウリュウジャーの監督を務める柴崎貴行さんの話しでは三条さんの脚本について構成や設定の取り組み方がすごく戦いの演技にも個々の特性や必殺技が盛り込まれていて撮影が撮りやすいと評価して話しています。

漫画以外でも特撮関連で大活躍できる三条先生はものすごい方だと思います。

 

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【ダイの大冒険】作画の稲田浩司さんとは?

ダイの大冒険の作画を担当する稲田浩司さんをご紹介します。

稲田さんは三条先生とコンビを組む前は漫画「クソッタレだぜぇ‼」少年ジャンプに連載されデビューしました。

漫画家としてデビューしたのは1985年にルージュ・マジックを描いてデビュー

1989年にダイの大冒険の作画を担当する事になり大ヒット果たした事がきっかけとなって一躍有名な漫画家先生となりました

 

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【ダイの大冒険】体調を崩して長期休載

ダイの大冒険の連載が終わると稲田さんはそのまま三条先生とコンビを組んで「冒険王ビィト」を連載します

ダイの大冒険を大ヒットさせた二人が描いた漫画なので冒険王ビィトも12巻発売して大人気作となりました。

人気絶頂の稲田さんでしたが2006年に漫画が描けない程の病気にかかり倒れてしまいます

病名は不明です。

冒険王ビィトもダイの大冒険のように大人気作なので休みが取れずストレスがたまって倒れたのではないでしょうか。

突然の稲田さんが病気で倒れた事を知ったファンはとても心配の声もありました。

2006年の9月号から冒険王ビィトは休止

翌月には再開予定だったのですが稲田さんの病気が良くならずにそのまま長期の休養期間になります。

公式サイトも更新されずに休止状態になります。

ファンに病気の心配されていた稲田さんですが2015年12月に少年ジャンプ上で冒険王ビィトが再開される事が告知され2016年4月発売のジャンプSQ.CROWNにて実に十年ぶりに連載が再開しました。

 

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【ダイの大冒険】監修の堀井雄二さんとは?

ダイの大冒険の監修を務める堀井雄二さんをご紹介します。

堀井さんはゲームデザイナーや作家やアーマプロジェクト代表取締役を務める方です。

ゲーム界に堀井雄二の名が知れるようになったのは1983年にパソコン用ゲーム「ポートピア連続殺人事件」を手掛けた事がきっかけです。

もとからゲーム好きだった堀井さんはPC-6001も自作するほどです。

 

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【ダイの大冒険】ライターからゲームクリエイターへ

ゲームデザイナーやドラゴンクエストの生みの親として名が知られている堀井雄二さん。

その前はフリーライターでした。

ライター時代に親友だったさくまあきらさんに週刊少年ジャンプの編集者の鳥嶋和彦さんを紹介されゲーム仲間となり毎晩遊び回る仲となります。

1986年に堀井さんはファミコン初となる正統派ロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」発表します。

そして2年後の1988年にドラゴンクエストⅢを発表

この時はパソコンでゲームを楽しむ時代だったのですがドラゴンクエストⅢが大ヒットしたきっかけでファミコンでゲームを楽しむ物となり革命を起こします。

職業がフリーライターだった堀井さんですがドラゴンクエストⅢが大ヒットしたきっかけでゲームクリエイターとなります

 

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まとめ

ここまで、三条陸さんや稲田浩司さんや堀井雄二さんについてご紹介してきました。

鳥嶋さんが三条先生に稲田さんをご紹介していなければダイの大冒険は、大ヒットはおろか誕生はしていません

そして鳥嶋さんが堀井さんと出会っていなければドラゴンクエストも誕生していません。

結論から言うとすべては鳥嶋さんと出会ってからダイの大冒険は大ヒット作となりました

現在ではVジャンプでは三条先生が描いた勇者アバンが連載されています。

勇者アバンを観て三条先生を応援していきましょう!

 

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