【キングダム】合従軍相手に函谷関守将に任命された蒙驁!大将軍と言われる所以は?蒙驁の最期とは?

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合従軍戦にて函谷関守備の中心となった蒙驁

凡庸として描かれていますが、何故守備長に任命されたのか?

蒙驁の合従軍戦での活躍とともに、経歴や誰からも愛された人柄について紹介していきます。

 

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【キングダム】全軍出陣の総大将に任命

趙の李牧が、中華を統一しようとする秦を滅ぼす為に、六国を説得し合従軍を起こします。

迎え討つ秦は戦力で圧倒的に劣る事から、国門である函谷関に全戦力を集結させ戦う作戦にでます。

その函谷関守備の総大将に任命されたのが、なんと蒙驁でした

蒙驁はキングダムでは凡庸な将として描かれており、何故蒙驁が?と思った方も多かったのではないでしょうか。

函谷関防衛戦での各将の配置は、右翼に蒙武と騰、更に右に麃公。

左翼に王翦となっており、肝心の函谷関そのものの守備は、右に桓騎で左に張唐、そして中央に蒙驁となっていました。

武力NO1の蒙武や、ずば抜けた軍略の才がある王翦など、総大将に相応しい武将は他にもいるのでは?と思ってしまうかもしれませんね。

蒙武や麃公は明らかに攻撃重視タイプで、イケイケドンドンって感じで突撃していくイメージで守備には向いていませんね。

王翦は思想が危険すぎて、全軍を任せるのはいかがなものかと考えてしまいます。

それに山間を抜けさせない為には、王翦の知謀が必要不可欠でした。

桓騎はその性格に難がありすぎで、それこそ全軍の指揮する立場にするわけにはいきません。

そんな中、蒙驁や張唐は六将と同じ時代から活躍しており、長年秦国に身を捧げてきた将軍でした。

老将の秦という国に対する思いの重み。

その重みを買われての総大将任命だったのです。

実際、蒙驁はキングダムでは凡庸な将として描かれていますが、史実では相当活躍した記録が残っていますしね!

 

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【キングダム】蒙驁は秦国外出身の大将?

蒙驁は元々、斉の出身でした。

出世を夢見て来ましたが、斉では全く芽が出ませんでした。

その後、当時まだ幼かった蒙武を連れ、趙・楚・魏・韓・と各国を回りましたが、思うような結果は出ませんでした。

そして西の果ての国、秦でようやく少しずつ芽が出てきたのです。

凡庸と言われようが、基本を崩さず冒険をせず、定石通りの攻め方で武功を積んで来たのです。

蒙驁の戦い方は戦力が自軍より勝る相手に対しては分が悪いですが、明らかに劣る敵に対しては、足元をすくわれる事なく確実に勝利を収められるのです。

六将と同じ時代を生きてきただけに、脚光を浴びるのは常に六将だったのかもしれません。

しかし腐ることなくコツコツと、自分のやるべき事をしてきた蒙驁に対する信頼は、武将や文官の誰からも厚かったのではないでしょうか

 

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【キングダム】廉頗に負け続けた人生とは?

蒙驁は斉人として戦っていた時から、趙の廉頗とは何度も戦っていました

廉頗といえば言わずと知れた、趙三大天の一人です。

秦の六大将軍とも何度も激戦を繰り広げてきた傑物でした。

そんな才能溢れる将であった廉頗に、凡庸な蒙驁が勝てるはずもなく、連戦連敗を喫していたのです。

負け続けるという事はもちろん出世が遠のくのは当たり前で、対廉頗での連敗のせいで蒙驁は、斉での出世を諦めざるを得ない状況になってしまったのです。

逆に言えば、廉頗さえいなければ、出生国である斉でそのまま将軍になれていたかもしれないのです。

それほど因縁の深い相手だったのです。

廉頗とは秦将になってからは、一度も対戦していませんでしたが、魏の山陽戦にて魏に亡命していた廉頗と対戦する事になってしまいます。

蒙驁流対廉頗迎撃布陣 断道の計

蒙驁が40年以上をかけて考えた、対廉頗用の布陣でした。

なんと蒙驁が王翦と同じように、丘を砦化したのです。

一見スキだらけに見える砦でしたが、至る所に罠が潜んであったのです。

しかし、廉頗は蒙驁の執念の計略をものともせず、頂上にたどり着いてしまうのです。

更に蒙驁は廉頗との一騎打ちにて左腕を切り落とされてしまいます

やはり廉頗には敵わない・・・

しかし副将であった桓騎と王翦の活躍により、廉頗は退却を余儀なくされ、この戦いで初めて廉頗に勝利する事になるのです!

対廉頗戦において負け続けた蒙驁でしたが、最後の最後に勝利する事になったのです!

 

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【キングダム】蒙驁軍は人材の宝庫

キングダムでの蒙驁は凡庸な将でした。

しかしながら、凡庸の割には連戦連勝だったのです。

何故か?

問題を抱えつつも、才能溢れる副将に恵まれていたのです。

蒙驁本陣は徹底的に守り抜き、その間に副将の2人が敵を倒す。

というのが蒙驁軍の戦い方でした。

一人は元野盗頭の桓騎でした。

性格は残虐非道。

女子供、老人であろうと容赦のない男です。

ついた異名が「首切り桓騎」。

未だ謎の部分も多くありますが、はっきりとしているのは、戦の天才という事。

もう一人は、王賁の父親の王翦でした。

若かりし頃から、その軍略の才能を認められながら、将軍にはなれませんでした。

その理由は、自分が王様になりたいと思っていた為でした。

ある意味秦国一の危険人物なのです。

2人ともこの後の合従軍の時には、将軍に昇格していますが、キングダムでの初登場の時は蒙驁の副将だったのです。

あらためて振り返れば、当時の蒙驁軍は実は秦国最強だったかもしれませんね!

 

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【キングダム】函谷関で戦線に復帰!

山陽戦で負傷した蒙驁は暫く前線から離れていました。

しかし、李牧が起こした合従軍を迎撃すべく、戦線に復帰します

その役目は、この戦いの命運を握る函谷関を守る事でした。

若かりし頃は、六将の影に隠れた存在だった蒙驁でしたが、六将の誰よりも長生きし、秦の命運を握る戦いの中心になったのです。

何故ならこの戦いは、函谷関を抜かれさえしなければ、秦は負ける事はないのですから。

天の計らいと捉え、同じく函谷関の守備に任命され、六将の時代から共に戦ってきた張唐と酒を酌み交わします。

そして次々と届く、地上戦での勝報。

圧倒的に戦力で劣る状況で始まった戦いでしたが、少しずつ少しずつ戦況は秦に傾いてきていました

 

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【キングダム】守将として函谷関を死守

蒙驁は函谷関の中央に配置されます。

蒙驁から見て、右に桓騎、左に張唐が配置されていました。

合従軍での函谷関突破を任されたのは、魏軍と韓軍でした。

魏の総大将の呉鳳明の規格外の発明品である、巨大井闌車や巨大床弩で幾度となく橋を架けられてしまいます。

更には韓の成恢の毒兵器によって、張唐の持ち場は荒らされてしまい、張唐自信も毒に侵されてしまいます。

何度もピンチを迎えますが、桓騎と張唐が地上に降りて韓の成恢を討ち取るという大胆不敵な策もハマり、なんとか函谷関を死守します。

そして函谷関守備戦最大のピンチであった、媧燐軍別働隊の奇襲

いつの間にか、楚の媧燐の精鋭兵5千に函谷関の裏を取られていたのです。

瞬く間に函谷関内が大混乱をきたし、媧燐兵に城門を占拠されてしまいます。

さしもの蒙驁も、もはやこれまで・・・と打ちひしがれてしまいます。

その時でした!

左翼を守っていた王翦軍が突如函谷関内に現れたのです!

王翦は媧燐兵に占拠された城門を奪い返します

この瞬間、合従軍による函谷関突破が極めて難しい状況になったのでした。

結局のところ、蒙驁は一喜一憂しているばかりで、特に活躍はしていませんでしたがw

なんとか函谷関を守り切る事に成功するのです。

 

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【キングダム】合従軍終戦後に起きた蒙驁の最期とは?

合従軍戦終わった翌年は七国全てが疲弊していたのか、大きな戦争が全くない年でした。

そんな中飛び込んできた、蒙驁危篤の知らせ

信と孫である蒙恬が蒙驁の居城に急ぎます。

信にとっても蒙驁は恩人とも言える存在でした。

山陽の戦いでは、蒙驁の推薦があって、予定外であった臨時の千人将に抜擢されます。

その甲斐あって、見事敵の将軍であった輪虎を討ち取り、正式に千人将に昇格されたのです。

駆けつけてくれた2人に蒙驁は、王賁も加えた3人でかつての六将のように、一緒に高みへ登るようアドバイスして息を引き取りました

息子の蒙武は、魏との国境を警備しており、駆けつける事が出来ませんでした

2人で出生国である斉を飛び出し、各地を渡り歩いた昔を思い出し、蒙武は静かに酒を飲むのでした。

 

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【キングダム】実は桓騎に尊敬されていた?

蒙驁の有能な副将だった桓騎と王翦

2人は何故素直に蒙驁に頭を下げていたのでしょう?

王翦は思想は危険ながらも、生粋の武人なのでまだうなずけますが、桓騎は元野盗の頭領です。

明らかに自分より能力が劣るであろう蒙驁に、素直に従い続けていたのが不思議ですね。

蒙驁が死亡した後の戦で、王翦はやはり自分の為に戦っていましたが、桓騎は捉えた敵を焼死させようと相変わらず残忍な事をしましたが、その時に「派手にやれ。白老へのたむけだ」と言っています。

もしかしたら桓騎は蒙驁の事が好きだったのか、そうでなくとも嫌いではなかったのではないでしょうか。

誰からも嫌われる桓騎やその軍ですが、蒙驁は身分や経歴で人を差別しない将です。

元は下僕の郭備も千人将として活躍していましたね。

山陽戦時の臨時の千人将を選ぶ時も、信が元下僕なのを部下は問題視しますが、蒙驁は「それのどこが問題じゃ」と一喝しています。

そんな蒙驁軍内では、桓騎軍の事を悪く言う兵はいなかったかもしれません。

もしかしたら桓騎にとって蒙驁軍内は、居心地が良かったのかもしれませんね!

 

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まとめ

蒙驁は実在した人物で、史実ではとても有能な将軍だったという記録が多数残っていますが、キングダムでは凡庸な将として描かれています。

しかしながら、人を見る目や人柄は趙一級なものを持っていました

そして六将のような強さや知力は持ち合わせてはいませんでしたが、人としての器は誰よりも大きかったのではないでしょうか。

 

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