【キングダム】合従軍に勝てたのは嬴政のおかげ!?カリスマ性が爆発!李牧を圧倒した嬴政の作戦とは?

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キングダムの合従軍編では、各国の総大将を撃破・撃退する秦国武将も多く、終盤では山の民が援軍として登場するなど見所がたくさんあります。

秦の国王嬴政の活躍もまた、合従軍編の見所の一つといえます。

今回はその合従軍編における、嬴政の活躍や王としてのカリスマ性についてご紹介します。

 

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【キングダム】嬴政(えいせい)とは?

嬴政(えいせい)は、長い戦国の世を終わらせるために中華統一を志す若き秦国の王です。             

父の死により、13歳という若さで秦国の大王として即位しますが、弟王の反乱や秦国丞相呂不韋による暗殺計画など、秦国内部で様々な危機に直面します。

合従軍編でも、呂不韋がまたもや不穏な画策を企てる中、政は秦国を救うため、最後の砦となる蕞に自ら出陣します

 

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【キングダム】政が活躍する合従軍編は何巻のはなし?

合従軍編は25巻〜33巻までの長編です。

前半は函谷関攻防戦での秦国の武将の活躍が多々描かれる中、後半の蕞防衛線では李牧の策により秦国がピンチを迎える内容となっています。

31巻に政が自ら決戦の地となる蕞に駆けつけ、蕞の民を奮起させるという活躍ぶりが描かれています

この政の活躍が、秦国を勝利へと導くのです。

 

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【キングダム】五国に攻められた秦国

秦国による中華統一を阻止するため、趙の三大天李牧が各国を説得し、斉を除く趙、魏、燕、楚、韓の五国に秦国は攻められることになります。

その合従軍編決戦の舞台となるのが王都咸陽の関所となる函谷関

合従軍を迎え撃つ函谷関はどんなに巨大な井蘭車も届かない高さで設計されており、城門も固く、他軍からの侵攻を防ぐために造られた鉄壁の門です。

秦国は函谷関に将軍を結集し、全戦力をもって合従軍に立ち向かいます。

蒙武による楚国総大将汗明の撃破、桓騎・張唐による韓国総大将成恢の撃破、王翦の燕国総大将オルドの撃退と、各武将の活躍により秦国優勢にみえましたが、その裏で李牧は別の策を企てていました

 

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【キングダム】蕞(さい)のピンチに駆けつけた政

李牧の策とは、秦国に気づかれないよう函谷関の戦いと同時に、南道へ派兵することでした。

南道にある城を落とし、王都咸陽に迫ろうとしていたのです。

名だたる武将たちはみな函谷関に召集されており、咸陽を守り切れる力は残っていません。

咸陽に最も近い南道の城蕞が落とされれることは、合従軍戦に敗れるも同然のピンチとなってしまいました。

また、その蕞も人口は多いものの老人や女性、子供たちばかりで戦力はないに等しかったのです。

李牧の策にいち早く気づいた秦国の武将麃公は南道を進む李牧軍を追撃しますが、李牧と同じく趙の三大天である龐煖との一騎討ちの末、敗れてしまいます。

その後、李牧軍に追われながらも麃公軍と飛信隊はなんとか蕞に辿り着くのでした。

麃公を打たれ憔悴しきった状態の麃公軍と飛信隊の前に駆けつけたのが、秦国王である政だったのです。

 

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【キングダム】李牧は政の有能さに気づかなかった?

蕞には老人や女性、子供ばかりで戦力がほとんどないことを李牧は知っていました。

しかし、秦国の王である政自らが決戦の地に駆けつけ、蕞の民たちを鼓舞することなど李牧にとってまったくの想定外だったのです。

生き残った麃公軍と飛信隊に加え、蕞の民たちは立派な戦力となりました。

蕞の民の士気をここまで上げることができたことも想定外だったでしょう。

結果、当初は2日も持たないと思われていた蕞は7日間もの間、李牧軍からの攻撃を耐え凌ぐこととなりました。

ついに7日目、蕞に趙軍がなだれ込み場内は敵で満ちていきました。

蕞が落ちると思われたそのとき、政が密かに援軍を要請していた山の民が現れたのです。

山の民の援軍もまた、李牧にとっては想定外の出来事でした。

 

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【キングダム】蕞の民に政がかけた言葉とは?

政が自ら蕞まで駆けつけた理由、それは王都咸陽の最後の砦であるにも関わらず李牧軍が来たら門を開けて降伏することを考えていた蕞の民を兵士と化す、というものでした。

政は蕞の民を集め、演説で語りかけます。

政が秦国の大王であることがわかると、蕞の民は全員がひざまずき、涙を流す者もいました。

政はそんな中、「蕞で敵を止めなければ、秦国は滅亡する」と放ちました。

そして自らも共に決戦の地で戦うこと、秦国を守ることを伝え蕞の民を奮起させたのです。 

 

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【キングダム】山の民と築き上げた熱い結束

政が援軍を要請した山の民は、伝者を送ったときには山界の北方奥深くへ大戦の遠征中でした。

もし援軍を送ってくれるとなっても、蕞までかかる日数は8日間

来るのか来ないのかもわからない山の民は、そんな中わずか7日で3万もの援軍で駆けつけてくれたのです。

山の民が駆けつけてくれた背景には、政と山の民が築き上げた熱い結束がありました。

山の民国王である楊端和の幼少からの「世界を広げたい」という気持ちと、秦の国王政の「中華統一する」という志が一致したことにより、楊端和と政はかつてない強固な盟を結んでいたのです。

その同盟により、楊端和自らが援軍に駆けつけてくれたのでした。

 

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【キングダム】嬴政の人心掌握術がすごい!

政が蕞の民への演説を威圧的ではないが力のこもった声で、一人ひとりに語りかけるような口調で行いました。

そして、強制ではなく奮起させる形で蕞の民を兵士にすることに成功しました。

「共に戦う」「秦を守りきる」と檄を飛ばすことで、李牧の口車にも惑わされない、むしろ驚かせてしまうほどの戦意を持たせてしまうのです。

これは秦国王政の人心掌握術が光った瞬間でした。

 

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まとめ

合従軍編での秦国の勝利は、秦の多くの武将の活躍や山の民の援軍は欠かすことができません。

しかし、それ以上に政の作戦が秦国の勝利に導いたといっても過言ではないでしょう。  

自らが戦場に駆けつけ、王として蕞の民を奮起させただけではなく、山の民への援軍についても情報が洩れないように徹底しました。

政の作戦が、李牧を欺く結果となったのです。

合従軍編では、秦国の王としての政のカリスマ性が如何なく発揮されたといえるでしょう。

 

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