キングダムにおける前半の山場といえるのが、合従軍編となります。
李牧の計略により秦の周辺にある6か国(楚・魏・趙・燕・韓・斉)が各々大軍団を率いて、秦に攻め込むといった状況となります。
秦側は徐々に進行される状況となり、ついには全将軍を投じて戦う事態となるなど、まさに総力戦といえる戦いとなる戦いです。
今回はこの合従軍編について色々掘り下げていこうと思います。
Contents
【キングダム】李牧の画策した打倒秦の合従軍
李牧自らが提案した秦趙同盟により、山陽を奪い取り、東郡と宣言するなどのことをした、秦の軍総司令である昌平君の実力を見誤っていたことです。
また、山陽を奪い取ることは秦にとって、中華全土を統一することに向けて、何十手も先を見据えた上での詰みの一手であると読めたことです。
そして、このまま放置しておけば、魏国だけでなく中華全土は秦に統一され、実際に秦もまた中華全土の統一に向けてきているという事実に気づき、手遅れになる前に各国で秦を滅亡させておかなければければならないと考えています。
【キングダム】昌平君が仕掛けた一か八かの策
軍総司令の昌平君は、最悪の状況下の中、ある策を講じています。
それは、秦への侵攻を唯一してきていなく、侵攻する6国の中で一番離れている斉に対して、現在は外交中であり、遠征している同じ呂氏四柱である蔡沢に斉にいってもらい、斉に合従軍から離脱してもらうべく斉王に交渉するように依頼します。
そして蔡沢は斉王に謁見し、李牧との交渉額を聞き出し、その倍を支払うかわりに、合従軍から離脱するよう交渉をし、見事に成功しております。
【キングダム】函谷関での戦いは?
合従軍側が最終的に侵攻すべき咸陽は、周囲を山岳に囲まれる天然の要塞となっているため、咸陽にいくためには、この関所というべき函谷関を越える必要があります。
一方の秦側は、政や昌文君など含めた中枢での幾日の協議の結果、他の防衛線を捨て、国の全将軍を一同に会させ、函谷関にて合従軍を迎え撃とうとします。
こうして合従軍と秦軍は函谷関において対峙をして、大激突を繰り広げることになった戦いこそが函谷関の戦いとなります。
【キングダム】最強の武力を見せた蒙武
蒙武は昌文君からの指示であるが、高等戦術である斜陣がけを仕掛けることができました。
また、武功としては、合従軍6国の中で大国である楚の総大将を務めた汗明と一騎打ちが繰り広げられ、汗明を撃破しました。
汗明は、若いころは秦の6将軍の一人をもあっさり撃破できたとの噂があるなど、様々な国で恐れおののかれる存在である武将でした。
汗明の圧倒的な武力の前に蒙武も腕がやられるなど重傷を負わされるほど苦戦していましたが、最終的には覚醒し、汗明を撃破しました。
【キングダム】山の民に圧勝王翦
王翦は、オルドという燕の総大将と戦います。
オルドは北の五十の山の民のなかの王であり、対山中での戦いを得意とします。
また、山の民から見ても驚くほどの程の読みの天才で、言葉が違う山の民の言葉を理解しているため、山の民を動かして、オルド軍と一緒に戦うことができます。
そのオルド軍に対して、王翦軍はなんと奇襲をかけることに成功します。
山中で姿をくらましただけでなく、完全にオルド軍の背後を取ったわけです。
これによりオルド軍の主力部隊は壊滅的になりました。
【キングダム】李牧最強の一手「蕞攻城戦」
李牧は最初から函谷関の戦いとは別動隊を準備して咸陽に攻め入ろうとしていました。
咸陽では、いくつもの場所に敵襲の報が入り、さらに咸陽の南にある小城も陥落していきます。
また、李牧の作戦を伝え聞いた函谷関前の本陣では、秦軍を咸陽へ向かわせないように牽制していました。
対する秦軍も、合従軍の攻撃を警戒して動けずにいて、援軍が送ることができません。
ついに李牧は蕞までも滅ぼそうと、その方法といて、昼はもちろん、夜襲をしかけることでいつ攻め入られるかわからない恐怖を味合わせるよう仕向けています。
【キングダム】李牧を止めた麃公
李牧の策に直観的に気づき、合従軍の戦いから蕞にむかったのは麃公です。
しかし、李牧側のとっておきの策による龐煖と麃公の戦いがはじまります。
麃公はその戦いで龐煖の圧倒的な攻撃力に窮地に追いやられ、ついには信に盾を託した後に敗れてしまいます。
その代わりとして、龐煖の片腕をへし折るなど龐煖にも戦闘的に不利な状況を作り出します。
また、麃公の遺志を継いだ兵や飛信隊などが合流して、蕞の攻城戦を乗り切ることで結果、李牧の侵攻を止めます。
これも間接的に麃公のおかげだと考えます。
【キングダム】他国を欺いた政の手腕
政は他国からの秘密として密かに山の民に援軍の要請をしています。
そして、山の民も北の地で交戦中であるのにも関わらず、その要請に応じ援軍として、李牧軍に攻め込みます。
突然の山の民の増援は、完全に李牧の虚をつきます。
その存在は知っていたとしても、政との関係を知らなかったため、彼らが秦へ協力することは李牧にとって全く予想外となっております。
政が即位した後の秦の国内において、徹底した情報統制が生んだ奇跡だったといます。
【キングダム】戦争を終わらせた楊端和
楊端和を筆頭とした山の民の圧倒的な戦闘力により李牧の軍は蕞から引き上げていきます。
龐煖も信との一騎打ち後に退却し、李牧軍の殿を務めた晋成常は、山の民への怒りをあらわに徹底抗戦するものの、やがて山の民に討ち取られます。
蕞から李牧軍が撤退した後、山の民は再び北の地への戦いへ赴き、政は咸陽へと戻ることができました。
その四日後、李牧は合従軍本陣に到着するが、全軍が撤退します。
これにより秦と合従軍の大戦は終結します。
最後の決め手は楊端和率いる山の民が蕞に来てくれたことだとわかります。
【キングダム】武神龐煖を撃退した信
山の民が李牧軍を攻めているときに突如龐煖が姿を現れます。
龐煖は圧倒的な戦いで山の民を蹴散らし始めます。
しかし、仲間の制止を振り切って地上に降りた信は、龐煖との一騎打ちに臨みます。
麃公将軍の置き土産で片腕が負傷している龐煖に対し、信は、龐煖自身ではなく龐煖の矛を狙って全力で剣を叩きつけます。
反動で体勢を崩した龐煖の隙をつき剣を刺し込んだ信は、ついに龐煖の顔面に一太刀を浴びせることに成功します。
そして李牧からの伝言を受け、龐煖は一騎討ちの継続を制止し退却していきます。
まとめ
合従軍に対抗する秦の戦いはまさに全精力をかけ、大王の政まで戦うというまさに全精力をかけた戦いが繰り広げられました。
この戦いにより、秦はより強国に成長したものとと考えます。
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