【キングダム】合従軍編前半で勝利の鍵を握る王翦!函谷関で何が起こった?勝利に導いた戦術とは?

スポンサーリンク

今回の合従軍編で、特に活躍が目立ったのが、信と蒙武と王翦でした。

信と蒙武は攻撃で、王翦は守備で活躍しました。

合従軍戦において、盾の役割を任された王翦の活躍ぶりを紹介します。

 

スポンサーリンク

【キングダム】秦軍右翼に布陣した王翦

合従軍戦において、秦軍は函谷関での総力戦を選択します

その布陣は真ん中、函谷関の守備を蒙驁、張唐、桓騎の3将で、左翼に蒙武、騰の2将、そして右翼に王翦が陣取ります。

蒙武と騰と王翦の役目は、函谷関脇の山間部を敵に抜けさせない為の壁でした。

山間部を抜けられると、函谷関の裏を取られてしまい、内側から崩されてしまうのです。

外からの防御は鉄壁を誇る函谷関も、内側から挟撃されてしまっては、流石に防御は困難になってしまうのです。

左翼の蒙武と騰は楚と趙という、戦力の高い国を相手にしないといけない為、苦戦が予想されましたが、ある意味それ以上に王翦の守る右翼は重要な役割を持っていました

王翦の相手は50を超える山岳族の王にして、燕国の大将軍であるオルドが相手だったのです。

山を生活の基盤としている山岳族に突破を許したら、間違いなく函谷関の裏まで到達されてしまうのです。

王翦はまさしく盾の役割を担う事になるのです。

 

スポンサーリンク

【キングダム】知力だけなら六将級の評価

王翦は秦国の名家である王家の総帥です。

王賁の父にして、その一族にはあの王騎も名を連ねます。

王翦は未だ謎の多い武将ですが、はっきりとしているのは、自分が王様になりたいという危険な願望を持っている事

そして、ずば抜けた知力を持っている事でした。

昌平君の師匠でもある元六将の胡傷からも、そのお墨付きがあった程でした。

胡傷曰く「王翦はその軍略の才だけで、六将の席に割り込んでこれる逸材

それが王翦なのです。

胡傷自体が既にキングダム内では他界しており、王翦は若いうちからその才能を認められていた事になります。

自分が王様になりたいという危険な願望さえなければ、もっと早くに表舞台に姿を出せていた程の人物なのです。

 

スポンサーリンク

【キングダム】モットーは「勝つ戦しかしない」

キングダムで描かれている限りでは、戦においての王翦の勝率は100%です。

しかも圧倒的な力をもって勝っています。

魏の山陽戦において廉頗に裏をかかれますが、そういう事態も想定してか、森の中に巨大天然要塞を築いており、悠々と退却して廉頗にも手出しをさせなくしたのです。

結果、山陽戦は無傷の王翦軍が残っている事で、秦軍の勝利に結びついたのです。

王翦のモットーは「勝つ戦しかしない」です。

先程述べた魏の山陽戦でも、廉頗に裏をかかれますが、廉頗の兵力はさほどいなく、戦えば勝てていたかもしれません。

しかし、王翦は即座に退却を指示します

負けるかもしれない要素が1つでもあると、王翦は戦わないのです。

逆に言えば、王翦が戦うと決めた時は必ず勝つのです。

今回の合従軍戦、相手は燕のオルド。

山岳族の王を相手に山間で、どのようにして戦うのでしょうか!

 

スポンサーリンク

【キングダム】退陣したのは燕軍オルド将軍

魏の山陽戦でも王翦は天然の要塞を築いて、廉頗に手出しをさせませんでした

王翦の作る要塞は完璧でした。

しかし今回の相手は、50を超える山岳族の王であるオルドが相手です。

廉頗と違うのは、山のスペシャリストだという事です。

そしてその部下である山岳族も、もちろん山のスペシャリストなのです。

自信満々に砦の攻略を進めるオルド軍。

徐々に王翦の砦は攻略されていきます。

そして、砦の心臓部であった中央砦を攻略された事で、王翦は即座に砦を放棄し撤退します

「勝つ戦しかしない」がモットーの王翦は逃げたのでは?

咸陽王宮内がどよめきます。

王翦のモットーを知っていたオルドもまた、王翦が逃げたのだと思い函谷関裏を目指し進軍します

しかし全てが王翦の計算通り、もしくは想定内だったのです。

オルド軍が函谷関の裏へ続く最後の崖を越えようとしたその時、オルド軍にとって悪夢が訪れるのです・・・

 

スポンサーリンク

【キングダム】山の民相手に山で勝利

オルド率いる燕軍の主攻は、8千人の山岳族で構成されていました。

山登りのエキスパートとも言うべき、この8千の山岳族に越えられない山はありませんでした

函谷関の裏へ続く最後の崖は、まさしく断崖絶壁でした。

しかし、いかなる崖もなんのその。

次々に崖を登り始めるオルド軍。

もはや函谷関の裏へ到達するのは時間も問題でした。

その時でした!

突如オルド軍の背後に王翦が現れたのです。

そして降り注ぐ矢の嵐!

王翦は逃げたのではなく、待ち伏せていたのです。

開戦当初からこの崖の前が戦場になると読んでいたのです。

砦を攻略された王翦軍は逃げたのではなく、逃げたと思わせたのです。

そんな事とはつゆ知らず、オルドはまんまと王翦の思い描いた通りに崖の前に現れたのです。

雨のごとく降り注ぐ矢の前に、オルドは主攻である山岳族のエリート達8千人を、全て失う事になるのです。

王翦は山岳族の王相手に、相手の主戦場である山で見事に勝利を収めたのです。

 

スポンサーリンク

【キングダム】燕軍前から姿を消し翻弄

王翦軍に主攻の撃破されたオルドは本陣まで軍をさげます。

その頃王翦はまたしてもオルドの前から姿を消したのです。

山での戦いにおいて相手を見失う事は、致命傷になりかねない程危険なのです

それをよく知るオルドは軍を更に下げ、元々の王翦の砦に入ります。

そしてこの砦に入ったっきりオルドは身動きが取れなくなるのです。

オルドが把握している王翦軍は、オルド軍が罠にかかった位置にいました。

しかし、この位置にいる王翦軍は1万程少ない・・・

オルドは、王翦軍の足りない1万の行方がわからないのです。

山のエキスパートである山岳族でさえ見つけられない王翦軍。

この1万を見つけられない限りオルドは動く事が出来ないのです。

無理に動くと、見つけられない1万もの大軍に急襲される恐れがあるのです。

山岳族の王にして山読みの達人でもあるオルドを、王翦は見事に手玉にとり翻弄するのです。

結局オルドはこの後も、身動きを取る事が出来ず合従軍を終える事になるのです。

 

スポンサーリンク

【キングダム】函谷関裏側から奇襲した楚軍媧燐

オルドが王翦に翻弄されている頃、秦対楚の戦いでは蒙武対汗明の一騎打ちが繰り広げられており、楚軍第二将の媧燐が戦巧者の騰を翻弄していました。

楚の宰相にして今回の合従軍の総大将を務めている春申君をもってして、戦いの天才といわれる媧燐

今回の合従軍がキングダムでの初登場でしたが、実に自由奔放に躍動します。

中華の戦では珍しい「戦象」と呼ばれる象を使って、騰軍を翻弄します

しかしそこは、騰軍第一軍長の録嗚未には通用せず撃退されますが、「戦象」に気を取られていた騰軍をいつの間に媧燐軍は包囲していたのです。

これには騰をはじめ、騰軍全員が驚愕します。

屈強な媧燐本軍まで騰本陣に突撃してきます。

騰はすかさず左右の指揮権を王賁と蒙恬に預けます。

これが大正解で、騰軍は2人の若き将のお陰で、ピンチを脱するのです。

しかし媧燐は、すぐさま蒙武対汗明の一騎打ちが行われている場所に移動し、一騎打ちの邪魔をします。

そのまま騰本陣を攻めていれば、もしかしたら勝てていたかも・・・

そう思えるほどの戦況だったかのように思えますが、媧燐はあえてそうしませんでした。

何故か?

全てはまやかしだったのです。

自分に目を向けさせて、本当の狙いに気付けなくする為のまやかしだったのです。

対峙していた騰でさえ気付かなかった媧燐直下兵5千の行方・・・

この5千は人知れず函谷関の脇を抜けており、既に函谷関の裏を取っていたのです!

 

スポンサーリンク

【キングダム】城門開門寸前に現れた王翦

蒙武が汗明を討ち取り、秦軍は大いに歓喜します。

合従軍の象徴である汗明を討ち取ったのですから、当然そうなりますね。

しかし喜びも束の間でした。

函谷関裏に到着していた媧燐直下兵5千が、秦軍の背後から襲いかかったのです!

思いもよらぬ奇襲に困惑する秦軍。

蒙驁が必死に対応しようとしますが、時既に遅し!

秦、魏、楚の兵士で入り乱れ、函谷関内は大混乱をきたします。

そんな中媧燐兵は城門付近を占拠し、城門を塞いでいる巨大な岩を取り出し始めます。

城門を開けられたら、外に構えている魏の呉鳳明軍が押し寄せ、函谷関は陥落してしまうのです。

蒙驁が諦めかけたその時、奇跡がおきます!

突如「王」の文字が書かれた旗をもった軍勢が現れます!

王翦軍でした

オルドが見つけられなかった王翦軍の残りの1万は、既に函谷関へ向かっていたのです。

どれだけ探しても見つからないはずですね。

燕軍対王翦軍の戦いだったので、当然オルドは自分を狙っているはずと思っていたのですから。

王翦は軍略だけではなく、心理戦においてもオルドを圧倒していたのですね。

 

スポンサーリンク

【キングダム】函谷関戦防衛の最大貢献者!

突如函谷関に現れた王翦軍は、城門を占拠していた媧燐軍を一気に撃退し、城門を取り戻します。

この瞬間、媧燐の別働隊での急襲が失敗に終わるのでした。

函谷関を守っていた蒙驁や桓騎でさえなす術がない状況の中、王翦の「読み」が函谷関を守り、秦国全体を守ったのです。

後の論功行賞では、蒙武が第一功として特別に表彰されていましたが、王翦も同じように第一功でも良かったのでは?と思う方も多かったはずです。

蒙武は合従軍の象徴でも言える「楚の巨人」と呼ばれる汗明を討ち取り、その後崩れた楚軍に追撃を加え大打撃を与えました。

楚軍は再起不能な程に崩れ去ったのです。

その事が評価されての第一功でしたが、王翦なくして今回の勝利はあり得ませんでした

王翦が函谷関に援軍として現れなければ、函谷関は間違いなく陥落していました。

函谷関が陥落するという事は、秦国が滅んでいたという事です。

今回の攻撃の最大の功労者は間違いなく蒙武ですが、守備の最大の功労者は間違いなく王翦でした

王翦は盾としての役割を想定以上に果たしたのです。

 

スポンサーリンク

まとめ

危険な思想をもっている王翦ですが、今回の戦いにおいてはとても重要な役割を果たしました

史実からすると、秦が中華統一する為に、なくてはならない存在です。

あくまでも自分が王様になりたいと思い続けるのでしょうか?

はたまたどこかで改心し、政に忠誠を誓うのでしょうか?

今後の王翦の動向から目が離せませんね!

 

スポンサーリンク

関連記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です