【キングダム】嫪毐(ロウアイ)が貫き通した一途な愛!太后を幸せにできた?嫪毐の最期とは?

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今回は呂不韋の策略から太后の元に連れて来られ、戦乱の世の中でその太后と愛を育んだ「嫪毐(ロウアイ)」と言う人物について、ご紹介したいと思います。

(以下、本文中ではカタカナの「ロウアイ」「アイ国」と記載させていただきます。)

 

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【キングダム】下級文官だったロウアイ

ロウアイは自分のことを「ふつうの下級文官の家に生まれた」と思い返す場面があります。

幼少期には大きな体でありながらいじめられ、成人してからも勇気がなくて戦場には行けなかったそうです。

最終的には、父の人脈で「下級文官」になったようです。

 

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【キングダム】ロウアイは呂不韋からのプレゼント?

秦王・嬴政側と呂不韋側が勢力争いをしている時、太后の率いる後宮勢力がどちらの側につくかが問題点となりました。

その時、太后が呂不韋に与えた条件が「私をたっぷりと満足させること」と言うものでした。

十七年前、二人は趙国において恋人同士だったのです。

太后はかつて「邯鄲の宝石」として扱われ、「美姫(びき)」と言う愛称で皆に愛されていたのです。

しかし呂不韋は自らの出世のために、許嫁だったはずの太后を秦国の王族である「子楚(荘襄王)」と引き合わせ、あてがったと言う過去の因縁があったのでした。

しかし、今回後宮勢力の吸収の為とは言え、太后と姦通したことに対して呂不韋は「やはりこの女、深入りは危ないのォ」と感じ「少々羽目を外しすぎた」と自らの行動を考えるのでした。

しかもその姦通は一度きりでは済まず、太后は自ら呂不韋の元にやって来るようになりました。

そのため、呂不韋は策を講じることにしたのです。

それは、男子禁制の後宮に「ロウアイ」と言う男を送り込むことでした。

太后の快楽の相手をさせることで呂不韋自らが太后から解放され、またその事で自分の陣営に後宮勢力を取り込むことに結び付けようとしたのです。

結果、呂不韋としては一挙両得する形となりました。

一方の太后も自らの情欲を満たしてくれる「ロウアイ」を得ることになり、ある意味ロウアイが「呂不韋からのプレゼント」とも言えることになったのです。

 

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【キングダム】太后とロウアイが育んだ本物の愛

太后は「アイ国」を作った理由として、呂不韋に「好いた男と好き放題やってここで暮らす」とその動機を話しています。

まず太后の口から「好いた男」と言う言葉が出て来たことに驚きます。

ようやく、そう思える「男」に出会えた喜びを感じているように思えます。

一方、ロウアイは下級文官として仕事を始めたものの才覚はなく、接待のために夜な夜な下品な芸を披露していました。

しかしそのことが呂不韋の耳に入ったことで、偽りの宦官となり後宮に潜り込まされ、太后のお相手をすることになりました。

ロウアイは毎夜鬼のように乱れ狂う太后が恐ろしくてたまらなかったと言います。

しかし、ある夜、太后が快楽に顔を歪めながら涙を流しているのを見て、太后が「ひどく傷ついているお方」であることを感じ取りました

ロウアイは「太后の苦しみのはけ口として呂不韋の策略に組み込まれた」形で後宮に送り込まれたわけですが、その太后の涙を見た夜から「ほんの束の間でも苦しみを忘れ喜んで頂きたい、決して涙されぬように」と思うようになりました。

そしてロウアイ自身も「ただの男娼としてでも喜んで頂ける」ことによって「自分が初めて必要とされている」と感じ涙を流し、少しずつお互いの気持ちが通うようになるのです。

その後、太后はロウアイとの間に子供をもうけることになります

子供ができてしまったことを謝るロウアイに、太后は「私は産むぞ」と微笑みかけます。

その言葉に対してロウアイは、嬉しいけれどそれは「破滅の道だ」と太后に訴えます。

太后はその言葉を聞いて「我が人生はとっくの昔にその道にある」と話します。

そしてお腹をさわって「このガキを宿してなぜか私の中に真逆の願望が生まれた」と話します。

その真逆の願望とは「心を休める」と言うことでした。

「心を休める」ために必要となった場所が「アイ国」である、と話は続いていくのです。

太后は許嫁であった呂不韋に自分の出世のために利用し裏切られ、その後荘襄王との間に産まれた自らの子供である嬴政のことも愛することができませんでした。

その後、太后は再び呂不韋と姦通する機会を得るも、呂不韋からは「危険」と見られ、今度は性欲を満たす相手として「ロウアイ」を与えられました。

しかし、太后はこの「ロウアイ」との出会いをきっかけに、少しずつ心の傷を癒すことができるようになり、子供を授かったことで「安住の地」」を求めるように気持ちが変化していきました

二人の出会いは「仕組まれたもの」であったかもしれませんが、太后がロウアイに見せる表情は少し穏やかで幸せを感じているように見え、しっかりと二人が愛を育んだことが伝わる気がします

 

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【キングダム】毐国建国で君主にまで登り詰める

始皇八年、騰が総大将を務めた「著雍攻略戦」が終わった後、咸陽の本殿に突然、太后が姿を現しました。

卜(うらない)で、この二年離宮に隠れているという話だったので、なぜ太后自らが本殿に現れたのか、その場にいた者たちには分かりませんでした。

太后はその場で「“山陽”・“著雍”を後宮勢力がもらい受けようかと思ってねェ」と言い出したのです。

具体的な内容は「長官以下、上層部を三大宮家で固めて一帯に金を落とす」ということでした。

その上で、連れてきていた宦官を指して「山陽長官はこの男に代わってもらう」と言います。

その時、太后はチラっと意味ありげに呂不韋の方に視線をやり、その宦官が頭にかぶっていた帽子を外させ「ロウアイ」のことを「三大宮家の推す才覚溢れる大人物だよ」とみんなの前で話したのです。

呂不韋にとっては弱みにつけ込まれた形になり、その申し出をその場で受け入れることになります

反対する左丞相の昌文君の意見は聞かずに「二対一」として「用件はすんだ」と言って太后はあっという間に帰っていくのでした。

それから太后とロウアイは移動していき、たどり着いたのは北東の地「太原」でした。

そして太原一帯を「アイ国」と宣言し、独立国家として中華の八つ目の国となったのです。

「アイ国」の建国には太后が重用している宦官の「趙高」が色々と画策しており、裏で「楚」国と密約を結んで“コト”を興していたのです。

日増しに勢力を拡大し、他国の外交官が呂不韋に挨拶に行くか、ロウアイに挨拶に行くかを迷うほどに力を持っていき、ロウアイの顔つきや言動にも変化が出るほどでした。

他国からの謁見も多く、中には「王を名乗るべきではないか」と言ってくる楚王や「王宣言を」と言ってくる趙王の言伝もありました。

その結果、ロウアイが「アイ国」の「君主」にまで昇り詰めることになるのでした。

 

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【キングダム】太后懐妊で動き出した秦軍

「アイ国」に移住して後、ロウアイはなぜ太后が太原の地を「安住の地」として「アイ国」を建国することにしたことを思い出した頃、咸陽との戦を望んで画策していた虎歴大臣がロウアイに話し始めます。

それは「ロウアイ様と太后様の“不義の件”お二人の“隠し子のこと”も含めて咸陽にバレてしまった模様です。怒れる咸陽はアイ国を討つべく密かに軍を興す準備に入ったとのこと。こちらから先手を打たねば全てが灰と化します」と言う内容でした。

その上、虎歴大臣はロウアイさえ決断すればあとは自分が事を進めると言い始めます。

しかし、なんとかこの国を守りたいロウアイは自分が勝手に決めることはできないと抵抗し、「太后様を含め話し合う」と答えて、一度この場をおさめるのでした。

元々、アイ国は楚国と繋がって建国に至りました。

しかし太后はここに来て、虎歴大臣が出身国である「楚」の国の手先として潜り込んで来ていたことに気付きます

太后は隠し子のことは太原に入るまで完璧に隠していたつもりでした。

虎歴大臣は「一人の御仁にだけ知られてしまっていた、あの御仁にな…」と思っており、これはおそらく「呂不韋に知られていた」と言うことを指しているのでしょう。

虎歴大臣が最後に太后たちに決断を迫り、提示した内容は二つでした。

一つは「挙兵からの咸陽強襲」、もう一つは「この場で太后とロウアイの首をはね、さらに“隠し子”二人も同様にし合わせて四つの首を咸陽に送り届けて許しを乞う」と言うものでした。

この時すでに隠し子二人を虎歴大臣に人質に取られてしまっていたのです。

追い込まれた太后は「ここにきて安息を手に入れようなんて虫がよすぎたって話か」と諦めの気持ちになってしまい「最後まで踊りきる」決意をするのです。

そして太后は自分の息子である嬴政の「加冠の儀」に合わせて挙兵し、決行することを宣言するのです。

後に太后が息子である嬴政の加冠の儀に列席してみて初めて分かるのですが、秦国が「隠し子の存在を知っている」という事実はなく、アイ国を挙兵させるために巧妙に仕組まれた謀略だったのでした。

この点については以下に改めて詳細を書かせていただきたいと思います。

 

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【キングダム】呂不韋が仕組んだ罠だった?

ある時、呂不韋は「アイ国」へ政治的な話ではなく、太后に「恋人としての別れ話」をするために会いに行きました。

そして「さらばだ」と別れを告げた後で「たとえ“これからさらに”そなたに恨まれることになろうともな」と考えています。

またしても呂不韋は自身の思うことを為すために「策略」を練っていたわけです。

その一手が、先ほどから登場している大臣の「虎歴」でした。

虎歴は戦や政(まつりごと)について何も分からないロウアイに声をかけ「咸陽攻略の絵図」を描こうと言って、少しずつロウアイを取り込もうとしていきます。

そして先ほども書きましたが、最終的には子供二人を人質に取られた太后とロウアイは咸陽に討って出るしか手段がなくなってしまいました

秦国の古都「雍」で嬴政の加冠の儀が執り行い始められたころ、複製した偽の玉印の指令を持つアイ国反乱軍が函谷関を悠々と通過していきます。

太后は、息子嬴政の加冠の儀に参列しながらも、何かを必死に思案しています。

そのことに気付いているのは太后の目の前に座っている呂不韋だけです。

太后は「ことが順調に進んでいる」もとい「進みすぎている」ことに引っかかりを覚えます。

大王側の側近である昌文君や他の者が「浮かれている」様子を見て、「隠し子」のことに気付いていないのではないかと察知するに至るのです。

そして太后自らが「踊らされた?」と疑問に思い、「誰が得をするのか」と考えたとき、目の前にいた呂不韋と目が合いました。

太后が「お前か」と聞いたところ、呂不韋が平然と「いかにも」と答えたのでした。

この場面のやり取りは本当に恐ろしくてたまりませんでした。

呂不韋が「たとえ“これからさらに”そなたに恨まれることになろうともな」と考えていたことはこの事だったのですね。

呂不韋の目論見は「アイ国軍に咸陽を攻め落とさせて、そのアイ国軍を蒙武を従えて呂不韋が討つ」と言うものでした。

咸陽を火の海にして壊滅させ、王宮や後宮にも押し入り王族を一人残らず虐殺し、秦王家の血を根絶やしにし、加冠の儀が行われている雍にも攻め入り、大王を殺してしまうということです。

その上で、王族がいなくなり拠り所を失った秦の民が誰を頼りとし、誰にすがり、誰にこの国を託すかとなった時、それは「呂不韋本人」をおいて他にはないと考えていたのです。

今回もまた太后を利用して、自らが秦国の全てを手に入れることを考えていたのでした。

呂不韋とは本当に恐ろしい男ですね、それ以上の言葉が浮かびません。

実際のアイ国の反乱軍は呂不韋の息がかかった樊於期(はんおき)将軍が率いていました。

そして複製した偽の玉印の指令を手に、息子の樊琉期(はんるき)と共に函谷関を抜け、咸陽へ至る北道にて咸陽を守る秦軍と戦を始めてしまうのでした。

呂不韋はその上、咸陽の城門すらも開けてしまう手筈まで取っていたため、容易に咸陽に侵攻して行けたのでした。

しかし今回は、呂不韋の立てたこの反乱を大王側が察知しており、その討伐のために飛信隊がいち早く咸陽に戻り、呂不韋と袂を分かつことを宣言した昌平君が配下の介億達と共に、昌文君や壁将軍も率いて一団で雍から咸陽へと王都を陥落させないために向かうのでした。

また咸陽の中にも秦国総司令である昌平君直下の近衛兵が反乱軍を待ち構えていました。

詳細は記しませんが(ぜひ本編をお読みください)、この反乱は秦国・大王側の勝利で終わる形となります

加冠の儀が終わり、嬴政と呂不韋が語り合う場を持った時、嬴政は呂不韋に「お前がロウアイを後宮に忍び込ませた張本人であることは調べがついている」と語りかけます。

そもそも「アイ国」の建国に合わせて、この反乱の全てを裏で操っていたのがこの呂不韋が「仕組んだ罠」だったと言えるのでした。

 

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【キングダム】ロウアイは全ての責任を背負い処刑へ

ロウアイは樊於期将軍が始めた反乱の戦の序盤で戸惑いの表情を見せます。

ロウアイは文官でしたので、戦場の経験はなかったから当然の反応かもしれません。

その表情の変化に気付いた樊於期将軍はロウアイに「これから起こる咸陽の阿鼻叫喚はこんなものではない」とけしかけます。

そう言われてロウアイは「愚弄するな」と怒り「私はこの中の誰よりも覚悟を決めている。悪名を…歴史に悪名を刻む覚悟までだ」と反論し、共に咸陽へと反乱軍を進めていくことになります。

反乱軍は咸陽の中に入り、嬴政の子供の命を奪うべく、樊親子が後宮まで進軍していきます。

いよいよ嬴政の妻である向と子供の麗の元に刃が届いてしまうという時に、信がその場に到着し命は守られました

城外では秦国総司令・昌平君の率いる一団が到着し、戒翟公(じゅうてきこう)の首を獲ったことで、介億が勝ち鬨を上げました。

その声に呼応し、河了貂は反乱軍の敗走の道を作ることで、烏合の衆である敵兵(反乱軍)たちは大きな濁流となり全軍敗走していく形になりました。

その様子を見ていたロウアイはアイ国の反乱軍が「負けた」ことを悟ります。

ロウアイの護衛についていた者たちはその場から逃げようとしますが、ロウアイは自ら地面にどさっと落ちます。

そしてロウアイは東ではなく「太后様と約束した西の雍へ向かう」と涙を流すのでした。

ロウアイはあくまで太后の願いを守りたい一心だったと言えますね。

後日、敗走した反乱軍は函谷関を抜けたところで桓騎軍とぶつかり散々に粉砕されます。

そして生け捕られたロウアイは咸陽へ送られ、そこで太后と再会することになるのです。

ロウアイは両手を後ろで縛られ、皆にさらされて座らされています。

その場でロウアイはこれまでの経緯を洗いざらい話しました。

その中で「呂不韋の手引き」で偽宦官として後宮に入ったことも自供しました。

それでもロウアイは太后を守るため「玉璽の複製と太后の玉璽を盗んで軍を興し反乱に至った」という部分だけは事実を捻じ曲げて話したのです。

「太后は乱について一切関わっておらず全て己の独断であった」と必死に自供し、太后をかばおうとしたのです。

ロウアイの最期の場面については心にグッとくる言葉がありますので、少し詳しく書かせていただきますね。

いよいよロウアイが車裂きの刑に処せられるという時になり、そこに太后が現れます。

そして太后はロウアイが「何の才覚もなく野心も持たぬ取るに足らぬただの小男だ」と言って、反乱を仕組んだのは自分であると訴え、自分を車裂きの刑に賭けるよう言い出します。

しかし嬴政は反乱首謀者として断罪されているのは太后ではなくロウアイであると言い切ります。

太后は少し考えて「殺すのか…あの二人も…私とロウアイの間に生まれた二人の子の命も奪われるのか…」と言います。

子供がいたことにみんなは驚きますが、嬴政は秦王として「国家の禍となる火種は完全に消しておかねばなりません」と答えます。

その言葉を聞いて太后は地面に額をつけて自分の人生を語り始めます。

そして「ロウアイと出会い、その子を授かり何かが変わった」と必死で訴えます。

その言葉を聞いてロウアイの目から流れる涙は止まらなくなります。

太后の子供への命乞いを聞きながらも、嬴政の答えは変わりません。

すると太后は嬴政に「産むんじゃなかった。やっぱりてめぇなんか産んだのが間違いだったんだ」と酷い言葉を投げかけます。

その言葉を聞いて向は涙を流し、太后に向かって「大王様だってあなた様の偽りなき大切な御子ではありませんか!!」と嬴政の妻として、麗の母として自分の気持ちをぶつけます。

太后と嬴政、向とのやり取りを涙ながらに聞いていたロウアイが「太后様」とついに口を開きます。

そしてロウアイは太后に「もう二度とあなた様が涙されぬようにとっ、精一杯頑張ったのですが力不足でした…お許し下さい太后様…」と訴えかけます。

そして立ち上がり「子供たちのことは残念だけれど“向こう”で自分が面倒を見る」と太后に伝えます。

最後にロウアイは太后の方を向いて少し微笑んで「私はあなた様とお会いできて人生に大いに意味を持ちましたよ。本当に幸せでした。太后様、ありがとうございました」と言う言葉を遺して、自ら刑を受けるべく階段を下りていくのでした。

ロウアイは最期に太后様への感謝を伝えると共に、太后様にこの先も生きてほしいと願ったに違いありません。

作中ではどちらかと言えば冴えない、平凡な印象のぬぐえなかったロウアイでした。

その為に、反乱軍の首謀者に祭り上げら、利用されてしまいました。

しかし、この場面では自分を必要としてくれた太后様に対してしっかりと自分の気持ちを愛のこもった言葉で伝えていました。

最期の微笑みは見ていて本当に心が痛みます。

ある意味、ロウアイはこれまでの太后の愛も罪も、その苦しみを全て背負って先に逝ったように感じられます。

 

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【キングダム】史実のロウアイもすごかった?

ロウアイについては「史記」の呂不韋列伝に記載があるようです。

ロウアイには「巨根で知られ宴会の余興として自らの一物を軸に馬車の車輪を回して見せた」と言う特徴があり、太后との関係を清算したかった呂不韋がロウアイに目をつけたようです。

当時、男性が後宮に入ることはできなかったため、ロウアイを宦官のような容姿に見せかけて送りこんだのも事実のようです。

その後、ロウアイは太后の寵愛を受け、2人の息子をもうけたようです。

紀元前239年にロウアイは長信侯に封じられたとのことで、そこでは多くの食客を擁するようになり、呂不韋に次ぐ権勢を誇ったそうです。

ロウアイは河西太原を封地としますが、ロウアイの出世は世間での評判が悪く、後に嬴政の側からの内偵により太后との密通が露見することとなります。

そのため、ロウアイは御璽と太后の印璽を盗み出し、兵を集めて反乱を起こそうとしました。

しかしその反乱は、嬴政の命を受けた楚の公子である昌平君と昌文君の叔姪により、咸陽で返り討ちに合うことになります。

ロウアイは逃亡しますが、捕らえられ車裂きの刑に処せられることになり、紀元前238年没と言うことになっています。

キングダムは史実に近い形で描かれているため、やはりロウアイの「巨根」に関する部分から呂不韋の目に止まることになった点は変わらないようです。

しかし史実ではロウアイ自らが御璽などを盗んだことになっている点など違いも見られます

また、キングダム内でのロウアイは大きな体とは違い、言動は気弱な印象に見えますが、史実ではもう少し行動力があり、野望もあるような印象を受けます

それにしても「巨根」を持っているという一点のみで人の目に止まり、世に出ていけるとはある意味「すごい」と言えそうです。

 

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まとめ

今回は太后とともに「ある意味」呂不韋に人生を操られた「ロウアイ」について紹介させていただきました。

ロウアイも太后も出会うことが無ければ、お互いそれぞれに満たされぬ感情を持ったまま生きていく人生であったことでしょう。

呂不韋の策略によるものだったとは言え、二人は出会い、お互いに必要としあい、子供を持ち、少しいびつで短いながらも「幸せな時間」を過ごせたのではないかと思われます。

残念ながらロウアイは刑に処せられましたが、立ち直った太后と遺された二人の子供がいつか再会して静かにゆっくりと暮らしていく未来が用意されていたらと願わずにはいられません。

 

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