歴史上実在しない『キングダム』オリジナルキャラでありながら、その恐るべき武力で強烈な存在感を放つ堯雲。
趙国旧三大天の一人藺相如の『武そのもの』とまで言われる凄まじい強さ、藺相如の想いを引き継ぎ次世代に紡ぐ忠義。
今回は堯雲の強さと藺相如へのストイックな忠義を持つ堯雲をご紹介します。
Contents
【キングダム】藺相如の「武」を引き受けた名将
堯雲は趙国旧三大天・藺相如(りんしょうじょ)直下の部下『藺家十傑』の一人です。
藺相如は知勇に優れた素晴らしい名将でしたが、キングダムキャラには珍しく完全なる知略特化型であり、『武』を持ち合わせていませんでした。
そのため、藺相如に足らぬ『武』を直下の将軍たちが補い、彼らを束ねるのが堯雲だったのです。
堯雲の『武』とは、現三大天の一人である李牧をして『かつての三大天藺相如の武とは あの堯雲そのものです』と言わしめる程であり、その凄まじさが伺えます。
【キングダム】史実では存在しない?
堯雲の主である藺相如は文献にもその名を残しており、間違いなく実在した人物です。
しかし、彼の側近中の側近である堯雲の名は史書に記されていません。
よって、堯雲は『キングダム』の作中にのみ登場するオリジナルキャラということになりそうです。
【キングダム】廉頗に匹敵する強さの持ち主?
堯雲と廉頗が実際に戦っている描写がないので断定的なことは言えませんが、堯雲の主である藺相如が廉頗と双肩をなした三大天であったことが一つの指標になるでしょう
廉頗は言わずと知れた『武の体現者』のような武将です。
その廉頗と知勇はあれど『武』は持たぬ藺相如が互角に並ぶということは、彼の『武』を担っていた堯雲が廉頗に引けを取らぬ『武』の持ち主であることを意味します。
藺相如の『武』=『藺家十傑』とそれを率いる堯雲の力=廉頗
↓
堯雲≦廉頗
といったところではないでしょうか。
個人的には、頭イっちゃってる感では廉頗の方が上に思えます。
【キングダム】尭雲直下兵団「雷雲」の強さ
藺相如の『武そのもの』とまで言われた堯雲の強さを支えたのが、精鋭部隊『雷雲』です。
そして、その中でも更に厳選された精鋭オブ精鋭が十槍と呼ばれる騎馬部隊。
10人全員が槍使いであり、それが一斉に馬に乗って突撃するのだから機動力や統率力もたいそう高いでしょう。
しかし、残念ながらこの雷雲や十槍も史実には残っておらず、堯雲同様『キングダム』だけのオリジナル設定であるように思えます。
【キングダム】尭雲が見た不吉な夢
堯雲の主・藺相如には奇妙な力があり、彼は時折不思議な夢を見ていました。
それはいわゆる予知夢と呼ばれるような夢で、彼は生前に朱海平原の戦いを予知しています。
そして藺相如亡き後、堯雲は主の後を継ぐかのように夢を見るようになりました。
それも恐ろしく不吉な夢を。
趙の要である李牧の死。
歴史を題材とする『キングダム』は、史実を紐解けば登場人物たちの末路が記されている作品です。
しかし、歴史といえども正史・異説など様々な説が唱えられているため、どう転がるかは作者のみぞ知るところでしょう。
ちなみに、李牧は史実では鄴攻めの7年後に死にます。
夢から些か逸脱しますが、堯雲が夢の話をした時にカイネが『李牧が死ぬことがあれば己が盾になって死ぬ』発言をしているのが非常に気がかりです。
カイネが李牧を庇って死ぬ、それも貂(てん)の目の前で彼女の策の延長線上で死ぬことで、貂が軍師として完全に一皮剥ける覚醒イベント発生……になりそうな予感がします。
【キングダム】王賁との一騎打ちの結果は?
堯雲の得意とする陣形『雷獄』にハマりながらも、己の槍を信じ王賁は堯雲に一騎打ちを挑みました。
結果は、堯雲の完全勝利。
堯雲は王賁の必殺技・龍指で利き腕を貫かれるも、傷ついた右腕を意に介さず振り上げ一刀を繰り出しました…化け物です。
王賁は堯雲の一撃を受け止めはしたものの、圧倒的なパワーに押し切られ、数本まとめて骨がイったような音を立て落馬失神。
関常たち配下の手で意識不明のまま戦線離脱を余儀なくされました。
私見ですが、堯雲と王賁は武人としての技量(天性+鍛錬)においては大差ないのではないでしょうか。
ただ、積み重ねた戦いの年期において堯雲には一日の長があり、また体格的にも優位でした。
もちろん武術とは単なる力持ちが最強になれるような単純で夢のない世界ではありませんが、技術・知識・センス・スタミナなどが互角に近い場合、ウェイトは非常に大きな意味を持ちます。
それはボクシングその他の格闘技が階級別で競われている現実からも、議論の余地なきことです。
ちょっと夢のない残念な話になりますが、体格からくる圧倒的パワーは、生半可な技術を粉砕します。
ちょっと格闘技カジってイキった馬鹿が、ガチのラガーマンに喧嘩売ったら半殺しになるアレです。
かなりの達人であっても、技術で引っ繰り返せる体重差は2倍が限度ではないでしょうか。
【キングダム】藺相如の遺言に込められた思いとは?
優れた将軍でありながら、突然の病に倒れそれきりとなった藺相如は、死を迎える枕元に堯雲と趙峩龍を呼び二つの遺言を残しました。
①中華を統一する剣は断じて強靭でなければならぬ。だからこそ他国がその剣を持っていたならば全力で殺せ
②本編未公開、これからが楽しみです
何とも物騒な①の遺言ですが、世は戦国なので当たり前と言えば当たり前。
藺相如は趙の将軍なのですから、自国にテッペン取らせたいに決まっています。
しかし、この遺言の前後の描写から単純にそうと言い切れない部分もありました。
聡明である故に大きく広い視野で天下を見ることのできる藺相如は、互いに争ってばかりの中華がこのままでは擦り減り疲弊してしまうこと、そしてそれが酷く愚かで悲劇的な選択であることを知悉していました。
彼もまた、私利私欲とは異なる次元で中華統一を夢見る一人だったのです。
陣営は違っても、どこか王騎に対しシンパシーを感じている節も見受けられました。
中華統一は血まみれの道。
それでも中華は統一されなければならない。
故に、統一を為すものは誰よりも強くあるべきである。(弱いとすぐに取って代わられ、結局群雄割拠戦国時代のままだから)
血まみれの道の中で統一を目指して戦いに明け暮れる将軍たちは、国は違ってもある意味同士。
そのように達観していた藺相如は、手持ちの駒最強の堯雲と趙峩龍の本気の殺意を跳ね除け打ち砕ける強き剣にこそ、早逝する己の夢『中華統一』を託したかったのではないでしょうか。
【キングダム】共に戦ってきた趙峩龍の死
堯雲と峩龍は藺相如の下で共に馬を並べ戦ってきた古くからの戦友です。
それもただの戦共ではなく、敬愛する主の死の際にも揃って侍り、遺言を託された仲でした。
藺相如の死後、『藺家十傑』の内8人が主に殉じるが如く戦死していく中で、堯雲と趙峩龍だけが生き残ったのです。
こうしたことから、堯雲にとって趙峩龍は勝利・栄光・歓び・喪失・哀しみ・悔恨といった多くの感情を共有する特別な存在であったことが伺えます。
趙峩龍は堯雲とは異なり、基本的には軍師キャラです。
敵と直接刃を交えることなく、配下を差配し敵に打ち勝つことこそが彼の本領でした。
しかし、そんな趙峩龍が最後の最後に一人の武人として信と一騎打ちを行い、敗れはしたものの驚くほどの粘り強さで食い下がりました。
最終的に趙峩龍は王騎の矛を使いこなせるようになった信によって、上半身を腕から胸の中央までスッパリ切られ即死したものと思われます。
趙峩龍の最期の言葉―『後は…堯雲…』からも、二人の絆の深さが偲ばれます。
【キングダム】朱海平原での尭雲の結末は?
王賁と信という期待の若手二人を一騎打ちで圧倒した堯雲。
彼は次こそ藺相如言うところの『その剣』たり得る二人を全力で獲りにいくと、亡き友趙峩龍に誓います。
一方、一度は堯雲の圧倒的『武』に押された王賁と信も黙ってはいません。
何としてでも力を示し、父親に己を認めさせるためにも将軍にならねばならない王賁。
ちっさい話にも思えますが、彼がアイデンティティを保ちこの先一人の人間としてまっとうに生きていくには絶対に必要なことです。
そして、信。
この戦で何としてでも王騎の矛を使いこなし、かつての六将たちと切磋琢磨してきた堯雲を倒すことで、名実ともに王騎の矛の正統後継者とならねばなりません。
それは信がこの先悲願である『天下の大将軍』になるために不可欠なプロセスなのです。
散っていった松左のためにも、信にも譲れない想いがあります。
利き腕を王賁の龍指で粉砕されている堯雲、堯雲によって満身創痍の王賁、度重なる激戦による消耗と槍傷で明らかに動きの鈍い信。
もはや誰もがベストコンディションとは程遠い、怪我人同士の気力と根性のしばき合いの様相を呈しています。
さらに思いついたように引きこもりから社会復帰するはた迷惑な武神も乱入しているので、戦線は混乱の極み。
このグチャグチャな根性勝負を制するのは果たして誰か?
史実からすればオリキャラである堯雲はここで討ち死する可能性が濃厚ですが、藺相如の『二つ目の遺言』によって別の展開もあり得るのではないでしょうか?
毎週木曜日が待ち遠しい状態が続きますね。
まとめ
バジオウなど魅力的なオリキャラが数多く登場する『キングダム』においても、かなり上位の魅力を放つ骨太な男前キャラ堯雲。
強く義理堅く真面目でありながら、予知夢の能力を主から引き継ぐなどスピリチュアル系男子の側面をも持っているのが、たいへんギャップ萌えであります。
信と王賁という強者を一人で圧倒するほどの力を持つ堯雲は、外見からして儚さとは無縁の厳つい強面。
しかし、彼からはどことなく哀愁のようなものが漂ってはこないでしょうか?
敬愛する主が能力的ピークを保ったまま病により早逝するのをなす術なく見送り、その後共に戦ってきた『藺家十傑』の仲間が殉じるが如く次々と戦死。
置いて逝かれる人間の孤独に、腕っぷしの強さは関係ありません。
その寂寥の中で堯雲が己を保てたのは、同じ立場の趙峩龍と同じ情を共有できたからでしょう。
同情とは本来一方的に上からするものではなく、分かち合うものなのです。
しかし、そんな竹馬の友趙峩龍も今はもういません。
それが戦場に出るということなのですが、今の堯雲にはもはや戦の勝敗という大義よりも藺相如の『二つ目の遺言』を完遂することしかないのではないでしょうか?
堯雲がどのような最期を迎えるにしても、歴戦の勇者に相応しい舞台が用意されていることを願わずにはいられません。
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