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【キングダム】王弟謀反編で嬴政と成蟜の絆が深まった?二人の間に生まれたものとは!?

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『キングダム』の始まりは王都奪還編であり、王弟・成蟜による反乱から物語がスタートします。

そしてその5年後、王弟謀反編として再び「成蟜の反乱」が!

しかしその「成蟜の反乱」は王都奪還編のものとは様相が違い、嬴政と成蟜の関係性の変化が見えるものとなりました

それでは王弟謀反編からどう変化したのか、王弟謀反編における嬴政と成蟜の関係を見ていきましょう!

 

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【キングダム】王弟謀反編のあらすじ

紀元前240年、合従軍の疲労が中華に一時の平穏をもたらす中、秦では大将軍・蒙驁の死と秦王女・麗の誕生という節目の出来事を迎えていました。

その翌年、突如趙軍が北東の要衝・屯留に侵攻。

すると王弟・成蟜が、屯留に帰郷中の夫人・瑠衣を救うべく兵を率い出陣したのでした。

成蟜軍は僅か半日で趙軍を撃退し屯留を救出。

しかしその後、成蟜が呂不韋と通じる屯留城主代行・蒲鶮によって投獄され、その名で反乱を起こされてしまいます

「成蟜謀反」の報せに咸陽は至急、壁率いる反乱討伐軍を屯留に送ることに。

一方でその反乱を不審に思う嬴政によって飛信隊も屯留へ派遣され、信たちは成蟜救出に挑むのでした

 

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【キングダム】王弟謀反編は何巻?

王弟謀反編はコミックス34~35巻

ポイントは「合従軍編の後」ということです。

ひとつは、合従軍編での蕞防衛戦において嬴政が大王たる力を示し、秦国内での勢力を一気に伸ばしたこと

これにより呂不韋は大王派の勢力を弱体するため、成蟜の反乱を仕組みました。

もうひとつは、趙で合従軍の責任者であった李牧に代わり、大臣の郭開が力を持っていたこと

呂不韋は欲深いこの郭開と繋がりを持ち、趙軍を屯留に侵攻させて成蟜の出陣を促しました。

さらにもうひとつは、蕞へ出撃前の嬴政の言葉から、成蟜の心境が少しずつ変化していたことです。

この成蟜の変化が王弟謀反編の結末に大きく影響しました。

 

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【キングダム】嬴政と呂不韋の関係性とは?

嬴政にとって呂不韋は物語開始時から戦い続けている最大の政敵です。

子楚を秦王とさせ(荘襄王)秦国の丞相となっていた呂不韋は、次に若くして王となった嬴政に代わり国政の実権を握っていました。

そして呂不韋はその権力を確かなものにすべく、つまり国を自分のものにすべく、嬴政の命を狙ったり相国となったり虎視眈々と策を巡らせています

一方で嬴政はそんな呂不韋の腹の内を知りつつも、秦国最大の派閥を持つ呂不韋を裁くことが出来ないでいました。

そうして大王派と呂不韋派は互いに、嬴政が正式に王となる加冠の儀を決着の時としながら勢力争いを続けているのでした。

成蟜の反乱は、そうした中で呂不韋が大王派の勢力を弱体化させるために仕組んだ策略だったのです。

 

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【キングダム】成蟜の反乱に嬴政が取った行動とは?

「成蟜謀反」の報せに対し、嬴政は不信感を抱きました。

成蟜が無計画に突発的な反乱を起こすとは思えず、そもそも趙軍の動きからしても不自然だったと考えたからです。

場合によっては成蟜が嵌められているかもしれない。

そう考えた嬴政は壁率いる討伐軍のほか、飛信隊を成蟜救出の実行部隊として屯留に向かわせたのでした。

 

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【キングダム】王弟謀反編で成蟜は死亡した?

成蟜はやはり嵌められていたと知った飛信隊。

屯留攻城戦の中で成蟜捜索に急ぎますが、飛信隊が瑠衣と出会い成蟜の元へ駆けつけた時には、すでに成蟜は瀕死となっていました。

成蟜は見張りを味方につけながら脱獄し瑠衣を救出するも、蒲鶮ら追手との交戦で深手を負ってしまったのです。

そして成蟜は瑠衣・信と言葉を交わすと、そのまま瑠衣の腕の中で息を引き取りました

成蟜の死に多くの臣下が声を上げて涙したのでした。

 

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【キングダム】嬴政と成蟜の関係性とは?

嬴政と成蟜は異母兄弟

とはいえ成蟜は王族の血筋に執着しており、庶民の母から生まれた嬴政が王族の純血種である自分を差し置いて王位に就いたことに強い反感を抱いていました。

そのため嬴政の失脚を目論んでクーデターを起こし(王都奪還編)、失敗し幽閉されていました

しかし呂不韋が後宮の力添えを得ながら相国となると、それに対抗するため嬴政は成蟜を解放。

打倒呂不韋の利害一致により、嬴政と成蟜はここで初めて手を組みます

そして成蟜一派を取り込んだ大王派は、昌文君を丞相に据えられるほど一気に勢力を拡大することが出来ました。

さらに嬴政は、蕞への出撃前に玉座を成蟜に託します。

その時に、王の道を説き中華統一という宿願を語った嬴政の言葉と「この国を頼むぞ成蟜。今託せるのはお前だけだ」という信頼が、成蟜に王族としての意識を芽生えさせました。

つまり初めは命を取り合う程の不仲だった嬴政と成蟜ですが、呂不韋の脅威や亡国の危機を経て、王族の兄弟として少しずつ変化し近づきつつあったのです。

 

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【キングダム】嬴政と瑠衣の関係性とは?

瑠衣は成蟜の第一夫人

成蟜を愛する瑠衣は成蟜が憎む嬴政を敵視しており、幼少期には嬴政に石を投げつけていたほどでした。

そして気の強さは依然変わらず、成蟜が協力し始めてからも成蟜の裏切りを怪しんでいた大王陣営に対し「成蟜様が打倒・嬴政様を目論むとしたら呂不韋を叩き潰してから。その後正面から正々堂々とです」と言ってのけました。

しかし成蟜の変化を感じ取っていた瑠衣は、嬴政に「どうかご兄弟力を合わせて実権を王族の手に、そして我らが国の繁栄を末永く」とも伝えます。

瑠衣の心はあくまでも成蟜に寄り添っているため、瑠衣と嬴政の関係は成蟜次第とも言えるのです。

そして成蟜の遺言により、嬴政と瑠衣の関係性はさらに変化します

 

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【キングダム】成蟜が嬴政に託したものとは?

成蟜は死の間際、瑠衣に「俺の一派はお前がまとめあげろ。その後、政の下に一本化しろ」と遺言を残しました。

成蟜は自分の持つ力を全て嬴政に託したのです。

嬴政が中華統一を成すため

その過酷な道を支えるため、成蟜は信にも「貴様が奴の“剣”にして“盾”であることを忘れるな。貴様の存在が奴の支えとなる」と伝えたのでした。

 

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【キングダム】王弟謀反編の結末

屯留の反乱は、首謀者の蒲鶮が成蟜に討たれ、反乱軍大将の龍羽が壁軍に討たれたことで鎮圧され、民は臨洮へ移住させられました

嬴政は裏に呂不韋が絡んでいることが分かっていても、成蟜の死の罪を責め立てることすら出来ませんでした。

それほどまだ呂不韋との力の差は大きかったのです。

しかし大王一派は、成蟜の想いを受けた瑠衣により成蟜一派を取り込み、さらに大きく、さらに一丸となったのでした。

 

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まとめ

成蟜の憎しみにより嬴政と成蟜はあまり良い関係ではありませんでした。

しかし王都奪還編の成蟜の反乱で正面からぶつかった後、呂不韋の勢力拡大や嬴政の蕞出陣を経て徐々に良好な関係になりそうな雰囲気になっており、王弟謀反編の成蟜の反乱では成蟜が亡くなるも、2人の関係性の変化によって呂不韋の目論見を阻止することが出来ました。

反乱の後、瑠衣は成蟜のことを「憎しみこそ消えずとも、嬴政様のことを兄として、王として尊敬していたと思います」と語っています。

それを受け嬴政も「過去の罪を帳消しにすることはできぬが、俺もあいつと話すことはたくさんあった…」と語りました。

少しずつ近づき始めていた嬴政と成蟜…成蟜が生きていれば今後もっと2人の関係性が変わっていたかもしれないと思うと悔しいですよね。

しかし誰よりも成蟜に寄り添っていた瑠衣がその意思を継ぎ、嬴政を支えることになりました

つまり王弟謀反編を経て、嬴政と成蟜の心はようやくひとつになったのです。

 

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