政と呂不韋の権力闘争の中に新たに登場したのが「第三勢力」と言われる後宮です。
この勢力を取り込めば対立の勢力図を大きく変えられると言われますが、後宮勢力は呂不韋すら手を出しあぐねていた危険な勢力でした。
それでは後宮とは一体何なのでしょうか。
本記事では後宮について、まとめている人物や政陣営・呂不韋陣営との関係性など詳しく解説していきます!
Contents
【キングダム】後宮とは?
後宮(こうきゅう)とは咸陽にある、1000人を超える宮女と無数の宦官から成る男子禁制の城。
王宮の後ろに隠された城で、咸陽の民ですら正確な場所を知る者は少ないと言います。
また、いかなる要人も足を踏み入れることすら許されません。
非常に閉ざされた存在ですが、しかし宮女の殆どが名家の出身であるほか、氾家・介家・了家という有力者(三大宮家)が後ろ盾となっており、秦国内で絶大な権力を擁しています。
【キングダム】後宮にいた人物とは?
秦の後宮は現在1000人以上の全土から選りすぐられた極上の美女・少女たちが宮女として生活しています。
代表するキャラクターは向と陽ですね。
宮女たちの最大の役割は、王の子つまり政の子を産むことです。
そのため「宮女に選ばれるは女の誉れ」とも言われ、集められた宮女たちは王の伽を担う日を今か今かと待っています。
また、後宮には宦官という去勢を施された官吏が多数従事しており、後宮内の様々な仕事を行っています。
代表するキャラクターは太后の傍についている趙高です。
【キングダム】後宮は実在した?
後宮は実在していました。
後宮は王宮の後ろに作られた、王が正室や側室や子供たちを住まわせた場所であり、子孫を残すために大勢の女性を集めた男子禁制の場所。
世界の様々な国にあり、日本にも存在していました。
江戸の「大奥」というと分かりやすいかと思いますが、ただし大奥には宦官がいないなど、中国のものとは細かな違いはあります。
後宮は概ね『キングダム』に描かれているような場所ですが、正室である「王后」を始め、側室も様々な称号で地位が分けられていたようです。
また、王が変わると宮女たちも総入れ替えとなったそうです。
【キングダム】後宮をまとめていた人物とは?
先述したように後宮の中でも地位に違いがあったわけですが、地位を得るためにはまず王の子を産む必要があります。
王の子を産むことによって宮女は後宮の実権を握るひとりとなり、さらに最初の男子を産めば太后となって内外で権力をふるうことができるようになるのです。
そして現在の秦の後宮も太后がまとめています。
現秦太后とはつまり政の母親です。
【キングダム】後宮が第三勢力と言われた理由とは?
秦国では政陣営と呂不韋陣営の権力闘争が勃発していました。
政が幼くして王になったため、先王・荘襄王に取り入っていた呂不韋がほぼ実権を握っており、そのまま国を取ろうとしていたからです。
その対立において重要となっていたのが勢力図です。
勢力の大きさを矛に政陣営を潰しにかかる呂不韋陣営と、中立の立場の者を引き込むなど何とかして味方を増やしたい政陣営。
勢力というのはどちらも確保した重要事項であり、秦国の有力者は政陣営と呂不韋陣営に二分されている状況でした。
しかしそのどちらにも属さない「第三勢力」があったのです。
それが後宮。
後宮は氾家・介家・了家という有力者、古くより後宮の権を支えている三大宮家が後ろについており、勢力と呼べるほどの強大な力を擁しているのです。
それは、味方につければ政陣営が呂不韋陣営に対抗できるほどの勢力。
しかし政治の権力を与えると制御は難しいと考えられており、呂不韋ですら手を伸ばさず、また後宮を仕切る太后も政治には無関心を貫いており、まさに無関係の「第三勢力」でした。
【キングダム】後宮と嬴政の関係性とは?
無関心を貫いていた後宮でしたが、ある日突如、政陣営に接触してきます。
後宮の主は政の母であるため、お願いすれば政陣営についてくれるはず…と思われましたが、実は政と太后の間には、普通の親子とは違う複雑な関係性がありました。
2人はかつて敵国である趙で暮らし、秦王の妻子として侮蔑と虐待を受ける日々を送っていた過去があります。
その中で太后は全てを憎悪し、政に対してもひたすらに憎しみをぶつけていました。
そして現在も2人の間にはまだ大きな影が落ちていたのです。
それでも政は後宮からの接触を受けて太后に会いに行き、「どうか後宮勢力の力を私にお貸しください」と嘆願しました。
後宮からの返事は「可」。
政は何か裏があると感じながらも、強大な後宮勢力を味方につけたのでした。
【キングダム】後宮と呂不韋の関係性とは?
しかしその裏で太后は政を裏切り、呂不韋と密通していました。
政との接触は太后が呂不韋に会うためであり、且つ政への愛情がないことを確かめるためだったのです。
実は太后と呂不韋はかつての恋人。
太后は当時「邯鄲の宝石」と呼ばれていた舞姫であり、ラブコールを送ってきた呂不韋と許嫁にまでなりましたが、呂不韋に自分の出世のために後の荘襄王に献上されたという過去があります。
そのせいで散々憎悪にまみれた生活を送った太后ではありましたが、愛欲を求める太后は昔のように自分に快楽を与えることを条件に、後宮を勝手に呂不韋の傘下としてしまったのです。
呂不韋は危険と感じながらも太后と姦通し、後宮の力を手に入れました。
しかし呂不韋と太后の間の不義は呂不韋陣営に不信感を生み、政陣営はそれを呂不韋陣営の隙とし攻勢に転じたのでした。
そしてこの攻防は加冠の儀の日に決着がつくことになります。
まとめ
後宮は1000人以上の宮女が政の子を産むために集められている場所。
咸陽にあっても独自の治外法権で守られている特殊な場所ですが、権力闘争を揺るがすほど強大な力を擁しているので、その動きには注目です。
そしてそれをまとめているのが政の母親である太后。
しかし太后は己の欲のために後宮勢力の存在価値を利用したのでした。
また『キングダム』ではそうした政・太后・呂不韋の複雑な関係を中心に描かれているため“勢力”という印象が強いですが、後宮は本来王の家族がいる場所でもあり、咸陽侵略の際には最も狙われるべき場所でもあります。
作中では向とその娘・麗が登場していますが、政の家族がいる場所という点でも是非注目してみてください。
