秦国のクーデターから始まり咸陽の反乱。
長きにわたる政と呂不韋の壮絶な覇権争いについに決着。その詳細を紹介していきます。
Contents
【キングダム】秦の王を狙う呂不韋とは?
秦王の座をおびやかす傑物です。
元々は一流の商人として春秋7か国を渡り歩き富を築きあげまていました。
呂不韋は王位継承の候補にすら入っていなかった現秦王・政の父に財をはたき秦王にさせ、その褒美に自身は丞相の席を手に入れます。
文官としても目覚ましい功績を挙げており、もはや秦の実権を握っているのが呂不韋であります。
【キングダム】呂不韋を支える呂氏四柱とは?
呂氏四柱とは、呂不韋派にいる4人の臣下のことを指します。
昌平君、蒙武、李斯、蔡沢からなる呂氏四柱は、優秀な人材を多く抱えている呂不韋派でも特に優れている4人です。
昌平君・呂不韋の右腕として活躍し、秦軍の総司令官を務めるほどの天才軍師です。
蒙武・中華最強を自負する大将軍であり、武においては右に出る者はいません。
李斯・法の番人として歴史に名を刻む文官です。
「法は人々の願い」といった明言を残し、秦国がのちに法治国家になるにあたり多大な貢献をしました。
蔡沢・外交としてだけでなく呂不韋の相談役としても活躍していました。
李牧と斉王建を咸陽に連れてきて、秦斉同盟を結ばせた立役者となっています。
【キングダム】暗殺未遂を自白しても問われない実力差
呂不韋が政の暗殺のため、刺客を送ります。
本来であれば王に「自分がやった」と冗談でも言ったものなら即刻斬首でしょう。
それを笑って済ます呂不韋と政の間には、この時点では圧倒的な実力の差があることがわかります。
【キングダム】政と呂氏の狭間で揺れる成蟜
成蟜は政の異母弟で、かつては王位を奪うためにクーデターを起こすも失敗。
軟禁されていたが政の手によって解放され、見返りに政側への協力を要求されます。
最初は過去のいさかいもありましたが、政の考えや信念に突き動かされ、成蟜は変わり力を合わせるようになります。
【キングダム】太后と嫪毐は利用された?
太后は性欲の強い女性だったため、常に激しい欲求不満を抱えていました。
呂不韋はこれまでのいきさつがあるため太后の相手を断れず、関係を続けることになります。
そこで太后を満足させるためにあてがわれたのが嫪毒という男です。
その後、呂不韋の企みにより嫪毒は宦官としてとして後宮に入ります。
【キングダム】政と呂氏の中華思想対決
「人の本質の表れであり、人の世の営みの一部である戦争をこの世からなくすことはできない。」
「自分ならば暴力よりも金で人を動かして贅沢で豊かな国づくりをしてみせる。」
と豪語する呂不韋に対し、
「人が持つ凶暴性や醜悪さはただの側面であり、人の本質ではない。
そこを見誤り、戦争は起こるものだと思い込むことは人に対する諦めをも意味する。
人の持つ本質とは、光なのだ」と反論する政。
政は、武力で中華を統一し自分の代で戦争を終わらせることを断言しました。
政の覚悟がその場にいる全員に伝わり、呂不韋の目にもにじむものがありました。
【キングダム】加冠の儀での敗北
加冠の儀が終わった雍では、反乱の結末を知らせる従者を待っていました。
呂不韋陣営の早馬が到着し、そこで知らされたのは反乱の制圧、政の子どもと后の無事でした。
呂不韋は金を見つめながら自身の敗北を認めました。
【キングダム】呂不韋失脚後の呂氏四柱は?
昌平君・加冠の儀の前に飛信隊に暗号文を送り危機を伝えたのち、敵将軍、ワテギを打ち取って勝利。
昌平君は自ら呂不韋陣営を離反します。
その後は政に鄴攻略を進言し、始皇十一年苦労の末に対鄴戦略を完成させます。
蒙武・毐国建国宣言後は秦国に侵攻してきた楚軍を蒙恬と共に迎撃するなど、大将軍の名に恥じぬ活躍をしていきます。
李斯・咸陽攻防戦後に入牢されました。
しかし翌年始皇十年、 政の言う「法治国家」に法の番人・李斯の存在が不可欠として復帰することになります。
蔡沢・蔡沢の手引きによって極秘に斉王と李牧が咸陽に訪れ、政と斉王の会談が行われました。
そこに同席した蔡沢は、政の話す「法治国家」という答えに満足し、眠るように息を引き取りました。
まとめ
呂不韋や呂不韋陣営についてまとめましたが、やはり全員が全員化物のような凄みを持っています。
長きにわたって政と呂不韋の政権争いが続きましたが終結。
政は呂不韋という最大の敵を超え、着々と成長しました。
今後繰り広げられるであろう中華統一も目が離せません。
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