【キングダム】秦が奇跡を起こした合従軍編の結末!ひとつでも失敗すれば負けていた!?勝利に結びついた出来事とは?

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秦にとって、圧倒的に不利な状況で始まった合従軍戦

戦力で大きく劣る秦は、一体どのようにして勝利を収めたのでしょうか。

秦を勝利に導いた熱き戦いを紹介していきます。

 

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【キングダム】李牧が組織した合従軍の秦侵略

秦の大将軍王騎を討った事により李牧の名は中華全土に知れわたります。

その後、秦の呂不韋の画策により秦趙同名が結ばれる事になると、秦は魏の要所である山陽を攻略します。

この山陽攻略は秦が中華統一をする為の重要拠点でした。

秦が山陽を攻略した事により、秦が本格的に中華統一を目指すつもりだと気付いた李牧は、こちらも秦趙同盟を利用して燕に攻め込みます。

そして、秦の王騎に続き燕の大将軍劇辛をいとも簡単に討ち取ってしまうのです。

正確には、王騎も劇辛も龐煖が一騎打ちで討ち取っていますが、秦軍にしても燕軍にしても、李牧の策に見事にはめられてしまい、完膚なきまでに叩きのめされていたのです。

実際に2人の傑物を討ち取った龐煖よりも、戦いを指揮し勝利に導いた李牧の方が危険人物として中華全土にその名を知られる事となります

実はこの燕攻略は後の合従軍結成の布石だったのです。

秦が中華統一に乗り出すのを断固として止めたかった李牧は、自分の名を中華全土に知らしめ、合従軍結成をしやすくしたのです。

李牧の思惑通り、秦を除く各国の王は、王騎や劇辛を討ち取った李牧の説得に応じ、秦を滅ぼす為に大軍を秦に向け侵攻を始めます

ここに秦対六国の、キングダム史上最も激しい戦いが始まるのです!

 

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【キングダム】函谷関陥落を防ぐ 王翦

楚の巨人汗明が蒙武に討たれてしまい、楚は再起不能な程の大打撃を受ける事になります

この知らせを聞いた咸陽は大いに歓喜し、逆に合従軍本陣の春申君は怒りに任せて取り乱します。

そんな時思いもよらぬ一報が届きます。

楚の第二将の媧燐からのものでした。

勝利は目前

総指令様は函谷関をくぐる準備をされたし

今まさに汗明が討たれ、多少なりとも合従軍の勝利が遠のいたはずが、「勝利は目前」とはどういう事なのか?

媧燐は戦象を使って騰軍を混乱させたり、汗明と蒙武の一騎打ちの邪魔に入ったりと、自由奔放に動き回っていました。

しかしそれらは全てまやかしで、実は媧燐の直下兵5千が誰にも悟られないように、函谷関の裏を取っていたのです。

函谷関内部の左側から突如現れた媧燐の別働隊5千に秦軍は大混乱を起こします。

媧燐の直下兵の力は楚軍の中でも1,2を争う程で、虚をつかれた秦軍は次々に討たれていきます。

そして、媧燐兵は函谷関の入り口を占拠し、城門に固めてあった大岩をどかしていきます

函谷関が陥落する・・・蒙驁が諦めかけたその時、函谷関内部の右側から突如、大軍が現れます。

軍旗には「王」の文字が!

王翦でした!

王翦は占拠された入り口を再び取り戻します。

相対するオルド率いる燕軍を手玉にとった王翦が、ギリギリの所で函谷関陥落を防ぐのでした。

 

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【キングダム】最強を粉砕した最強 蒙武

合従軍の武の象徴である「楚の巨人」と呼ばれる武将、汗明。

彼を討てずして秦の勝利はあり得ませんでした。

汗明を討つのは、王騎亡き後、秦国一の武力を誇る蒙武の役目でした。

なにより蒙武しか汗明を討つ事はできなかったのです。

それ程に汗明の武力も突出していたのです。

汗明は若かりし頃、元六将の王齕を完膚なきまでに叩きのめした武勇伝を持っていました

秦国内でも箝口令が敷かれた程の出来事、六将王齕敗北・・・

中華最強を自負する汗明は、確かな実力を持っていたのです。

しかし蒙武もまた、中華最強を自負していました。

蒙武は呂不韋の意向により、あまり戦場には出ておらず、隠れた逸材で名中華にその名前はまだ知られていませんでした。

どちらが中華最強かを決める一騎打ちは一進一退の攻防を見せます。

しかし、積み上げてきた戦歴、実戦経験もはるかに上をいく汗明の双肩には、大将軍としての「格」が宿っていました

蒙武は左腕を砕かれ、顔面にくらった一撃により、意識をなくします。

勝負あり!

そう思われましたが、蒙武は復活します!

格の違いがあろうが、それを打ち破るのが秦国最強の武将 蒙武なのです!

蒙武は逆に汗明の右腕を砕いてしまいます

そこから再び一進一退の攻防になります。

そこに楚第二将である媧燐の指示により、一騎打ちに集中しているスキを狙って、蒙武の背後から敵が迫ります。

それに気付いた蒙武の息子の蒙恬が一騎打ちの邪魔はさせじと、刺客を止めに入ります。

しかし刺客に跳ね飛ばされた蒙恬は、汗明と蒙武の間に割って入ってしまいます。

その瞬間、汗明に斬られ深手を負ってしまいますが、それを目の当たりにした蒙武の怒りは頂点に達し、汗明の剣を砕き、汗明の頭をも砕くのです

どちらが最強かを決める戦いは蒙武に軍配が上がったのです。

ちなみに蒙恬は重傷を負いましたが、命に別状はありませんでした

あまり似てない親子ですが、父親に似て結構頑丈なようです。

 

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【キングダム】政の思いに応えた 昌平君

合従軍は、武の象徴である楚の汗明が蒙武に討たれ、媧燐の別働隊による函谷関奇襲も王翦によって阻まれてしまい、打つ手が無くなってしまいました。

すなわち、合従軍が函谷関を抜く事が極めて困難になったのです。

合従軍は開戦当時の位置までの退却を余儀なくされます。

歓喜する秦軍ですが、この戦いにおいて中華一の危険人物である李牧は未だ動いていませんでした。

その李牧は、合従軍が後退した夜に本陣から姿を消します。

李牧は開戦前から、不足の事態にそなえ南道ルートから別働隊での咸陽攻略の手立てを考えていたのです。

南道は険路である事に加えて、防衛都市が強固である事から外敵が侵攻してくるのは、まず考えられない事でした

李牧は開戦時から、人知れず数千人単位で南道に趙兵を送り込んでおり、その数実に3万〜4万にまで膨れ上がっていました。

この別働隊の侵攻は秦を恐怖のどん底に落としたのです。

李牧は南道の屈強な防衛都市を次々と落としていき、瞬く間に咸陽へ迫ります

その頃、王都咸陽では

咸陽が落ちる

そんな噂が経ち始め、咸陽から逃亡しようとする市民が暴動を起こしていました。

政と敵対している呂不韋は、政の首と引き換えに身の安泰をはかろうと、政の暗殺を画策します

そんな時、突然政が姿を消します。

呂氏四柱の一人ながら軍の総司令でもある昌平君と密談後、政は蕞に向け進軍を始めます。

大王自ら戦いの地へ向かった事が、はたして大王独断の判断だったのか呂不韋は勘ぐります。

昌平君と密談をしていた情報を掴んでいた呂不韋は、昌平君を問い詰めますが、昌平君は答えます。

私は秦軍の総司令でもあります

今それ以外の事は取るに足らぬ小事です

それ以外の事とはもちろん「大王暗殺」の事でしょう。

呂不韋にとって重要な事を、呂不韋の部下である昌平君が「取るに足らぬ小事」と言ったのです。

昌平君も政と同じく秦を守りたかったのでしょう。

そして、政ならそれが出来るかもしれないと思い、政の言葉と行動を後押ししたのではないでしょうか。

 

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【キングダム】李牧と龐煖を止めた砦 麃公

合従軍が函谷関を抜く事が困難な状況に陥ると、李牧は奥の手である南道から咸陽を目指します。

李牧は人知れず合従軍本陣を離れる前に、各国に精鋭千騎を南道に送り込むよう指示を出します。

この千騎の意味は、各国が平等に手柄を立てた事になるようにする為で、各国への配慮でした。

しかしこの配慮が裏目に出ます

千騎が移動する時の砂煙を見逃さなかった武将がいます。

本能型の武将で勘の鋭い麃公でした。

函谷関への勝負所での戦いを失敗した合従軍は、16日目17日目と殆ど戦闘を仕掛けてきませんでした。

麃公は砂煙を見た時、直感で「合従軍の攻撃の本命は他にあるのでは?」と考えます。

そして、自軍と飛信隊も含め3千騎で南道を走ります。

南道の途中の城で兵を増やし、その数実に5千にまで膨れ上がっていました。

李牧軍を見つけた麃公軍は背後から急襲します。

麃公軍と飛信隊の勢いは凄まじく、李牧軍を次々に蹂躙していきます。

李牧の繰り出した策「流動」をも見破った麃公は、遂に李牧を眼前にとらえます。

しかし、李牧軍と同行していた龐煖と一騎打ちとなり、龐煖の左腕を折る重傷を負わせますが、最後は力尽き龐煖に討たれその生涯を閉じる事になってしまうのです。

この先に待ち受ける蕞攻防戦は、幾つのも奇跡が起きた戦いでした。

全ては麃公の命をかけた足止めがあったればこそだったのではないでしょうか。

 

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【キングダム】自ら戦場に立つ名君 政

麃公を失い、ボロボロになりながら蕞に到着した信の目の前に、思いもよらぬ人物が姿を現します。

昌文君や王宮兵と共に秦国大王である政がいたのです。

政は蕞の住民を戦う兵士にする為に来ました

蕞の兵士はその殆どが函谷関へ派兵されていて、3万人残ってはいましたが、そのうち2万人は女、子供、老人でした。

蕞の住民を広場に集めた政は語り始めます。

函谷関を合奏軍が抜くのは困難になった事。

李牧が南道を通って蕞に迫っている事。

咸陽では防衛戦は厳しく、蕞を抜かれれば秦は滅ぶ事。

そしてなにより、大王である政も蕞に残り共に戦う事。

住民の士気は大爆発を起こし、戦う事を決意するのです!

政の激により戦う兵士へと変貌した住民は、李牧の脅しにも屈する事はありませんでした。初日を守りきり、3日目には民兵の更なる覚醒もあり李牧軍を跳ね返し続けます。

しかし、5日目に悪夢が訪れます。

睡眠不足と疲弊により民兵が倒れ始めます

民兵の意識を繋ぎ止める為に、なんと大王である政自らが戦いの前線へ降り立ちます。

その行動が民兵の士気を高めますが、なんと政が敵に斬られてしまうのです

瀕死の重傷を負った政ですが、蕞を離れる事を拒否し、翌日も前線に降り立ち兵士の士気を高めるのです。

嬴政という心優しき大王の為に蕞の住民は戦い続け、戦いのプロである李牧軍の攻撃を6日間も跳ね返し続けるのです。

 

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【キングダム】隠密で最速な援軍 楊端和

蕞の攻防戦7日目、それまで守り続けてきた城門が遂に破られてしまいます。

昌文君が守り続けてきた西壁が、敵の突破を許してしまい、城門に通じる階段を奪われてしまうのです。

城門から一気に李牧軍がなだれこみ、蕞は陥落してしまうのです。

泣き崩れる住民達。

しかし、ここで蕞攻防戦最大の奇跡が起きるのです!

信、そして政がその奇跡に気づきます。

西の山影に3万のも山の民が秦を助ける為に現れたのです!

山の民は、北の大勢力であるバンコ族との戦いの最中でしたが、その戦いを放棄してまで秦の援軍に駆け付けてくれたのです。

しかも、計算上では8日かかるところを7日で到着したのです。

いかに休まず走り続けてくれたかが分かりますね!

李牧もいち早く山の民の存在に気付きましたが、対応するには時間がなさすぎました。

李牧軍は山の民の猛攻を防ぐ事が出来ず、瞬く間に飲み込まれていきます。

頼みの綱であった龐煖も、信に深手を負わされ退却を余儀なくされるのです。

ここに李牧軍の敗北が決まり、ひいては合従軍の敗北が決定的となったのでした。

楊端和は自分達の戦いより、秦を助けに行く事を選びました。

楊端和が、政をどれほど大切な仲間と思っているのかがよく分かる場面でしたね!

 

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【キングダム】戦争後の秦や他国の人事状況は?

合従軍戦が終わり、信と王賁は3千人将に、蒙恬は2千人将に昇格します。

影の立役者的な働きをした蒙恬が、2千人将止まりなのは以外でしたが、信の活躍ならば3人将は妥当な評価だったのではないでしょうか。

秦を救ってくれた山の民の王、楊端和には「大上造」の爵位が与えられます

大上造とは爵位の中で5番目に偉い位で、大将軍と同等の位になります。

一気に上から5番目の爵位が与えられたあたり、秦がどれだけ山の民を評価してるかが伺えしれます。

今回の合従軍を起こした張本人である趙の李牧と楚の春申君は、共に敗戦の責任を取らされる形となります。

春申君は田舎都市に追いやられ、李牧は宰相の座を追われ前線地の現場監督周りの役目をするはめになります。

2人とは対象的に、合従軍に参加し秦に敗れはしたものの、その活躍により出世をした武将もいます。

楚の媧燐は合従軍での武功により、楚国全体の第二将に格上げされます。

そして魏の呉鳳明は、魏国の第一将となります。

明暗がはっきりと別れた合従軍後の人事異動でしたね。

人事とは関係ありませんが一番の変化は、蕞で王としての資質を示した政の元に有力者が集まり、権力争いにおいて政陣営が、敵対している呂不韋陣営を初めて上回った事だったのかもしれません。

 

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まとめ

戦力に劣る秦軍は、量より質の戦いをします。

要所で勝利を積み重ね、合従軍の攻撃をことごとく跳ね返し、5国連合軍の合従軍相手に見事に勝利を収めるのです!

そして合従軍後の内乱期後、いよいよ秦が中華統一に向けて動き出します!

更なる熱い戦いに期待しましょう!!

 

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2 件のコメント

  • キングダム最高に面白い。最新刊出る前に、読ませていただいてます。

    「戦力に劣る秦軍は、質より量の戦いをします。」は
    「量より、質」かもしれませんね

    • HIROさま

      ご指摘ありがとうございます!

      たしかに逆でした!

      修正しました。

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