著雍の戦いは騰軍・玉鳳隊・飛信隊が魏の著雍を奪取するべく活躍したエピソードです。
敵側に呉鳳明が参戦してきたために玉鳳隊と飛信隊が呼ばれたわけですが、実は本来王翦軍も援軍として駆けつけるはずでした。
王翦軍が来なかった理由は結論から言えば、王賁がいたからです。
それではなぜ王翦軍は援軍に来なかったのか、本記事では著雍における王翦軍の動きを分かりやすく解説していきます!
その理由とも言える王翦と王賁の関係性や、著雍の戦いの結末まで徹底的にまとめました!
Contents
【キングダム】著雍編のあらすじ
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キングダム/©原泰久
中華進出のための楔として山陽を獲得した秦でしたが、合従軍の侵攻の間に李牧と春申君によって国境が書き変えられ、その道は山陽の先にある著雍で塞がれてしまいました。
そこで秦は新たな要所・著雍の奪取に着手。
騰を大将として一帯に侵攻を始め、奪われてはなるまいと続々と軍を投入する魏との著雍を巡る戦いが始まります。
そして騰軍に押し込まれる魏は、第一将の呉鳳明を大将として派遣。
しかも呉鳳明は六将時代の英傑「魏火龍七師」も呼び寄せていました。
呉鳳明と謎の援軍の気配を感じ取った騰軍は、玉鳳隊・飛信隊を援軍として著雍に呼び寄せたのでした。
【キングダム】著雍編は何巻?
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著雍の戦いが収録されているのは35~37巻。
成蟜の反乱(王弟謀反編)と毐国の乱(加冠の儀編)という秦国の内乱の合間に起きた出来事です。
この著雍の戦いと翌年の加冠の儀を経て、秦国は中華統一への道を本格的に進んでいくことになります。
【キングダム】著雍編での秦軍の戦略とは?
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秦軍の著雍攻略は、王賁の発案による三軍同日同時刻進軍という戦略で行われました。
これは3つの軍を主攻とし、この三軍がそれぞれの箇所から同日同時刻の魏軍本陣到達を目指すというもの。
魏軍は山や川などの地形に合わせて軍を広げており、各軍同士あるいは本陣から素早くカバーできるよう配置された完璧な陣を敷いていました。
しかし王賁がその中で“遮蔽物によって他所よりわずかに伝達・援軍に遅れの出る地“を三か所見出したのです。
微かな弱点ではあるものの、三か所同時に事が起これば敵の対応にもひずみが出るだろうと王賁は考え、この策を提案したのでした。
こうして秦は録鳴未軍・玉鳳隊・飛信隊の三軍を主攻とし、同日同時刻の突破を目指し動き出しました。
【キングダム】王翦軍はどこにいた?
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著雍攻略が行われている頃、王翦軍は拡陽に陣取っていました。
拡陽は著雍から北の、趙との国境です。
魏との国境とも程近く比較的著雍に近い場所であり、騰軍は当初王翦軍にも援軍を要請しようとしていました。
同時に王翦もまた、騰から援軍の要請が来るはずだと予想していました。
ところが王翦軍への援軍要請がないまま、著雍の戦いは始まります。
【キングダム】王翦軍の援軍を要請しない理由とは?
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騰軍が王翦軍へ援軍要請を出さなかったのは、王賁が「王翦軍を呼ぶのは絶対にやめろ」と言ったからです。
これほど強く王賁が王翦軍への援軍要請を拒んだ理由は2つ。
「戦略」と「私情」です。
戦略は王翦軍が著雍に来ることによって起こる事態を想定したもの。
私情は王賁と王翦の関係性によるものでした。
それでは具体的にどのような理由なのかそれぞれについて詳しく解説していきます。
【キングダム】王翦軍の援軍を要請していればどうなっていた?
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王賁が指摘したのは、著雍が秦にとっての中華進出の要所であるように、拡陽が趙にとって秦東部攻略のために密かに狙っている要所であるということ。
王翦軍が著雍に来てしまうと、その隙に趙軍が拡陽を奪取してしまうかもしれません。
そしてもし拡陽が落とされてしまった場合、趙は拡陽を拠点にしながら軍を南下させ、著雍・山陽を包み込み強奪してくるかもしれません。
著雍・山陽は今の趙にとって決して必要な地ではありませんが、奪った著雍・山陽を魏に売る可能性もあると王賁は考えていました。
少なくとも趙が南下してくればこの著雍の軍が対応に動かざるを得ず、下手をすると趙魏両軍を相手にせざるを得ないということも考えられるのです。
王賁は著雍攻略だけでなく、趙の動きも考慮した広い視野で王翦軍への援軍を否定していたわけですね。
【キングダム】王翦と王賁の関係性とは?
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上述の理由により王翦軍への援軍を止めさせた王賁ですが、それに加え「少し私情も入っている」と打ち明けました。
王賁と王翦は親子ではありますが、仲があまり良好とは言えないのです。
理由は後の53巻にて“王翦が王賁を実の子ではないと疑い、王賁もそれに気づいている可能性がある”という内密の事情が描かれますが、理由を抜きにしても王賁と王翦の不仲は周知の事実となっていました。
私情を挟むのは良くないですが、王賁は王翦と一緒ではやりづらいと訴えたかったのでしょう。
ただし王賁はこの著雍の戦いにおいて、王家の“正統な”後継ぎとして中華に名を刻む大将軍にならなければならないという強い覚悟を示します。
そのため王賁が王翦を避けたのは「嫌」だとか「気まずいから」という理由ではなく、「未熟な姿を見られたくない」「自分の力を示したい」といった気持ちだったのではないでしょうか。
【キングダム】著雍編の結末
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王賁発案の戦略は成功し、著雍の戦いは秦軍の勝利に終わります。
最大規模の騰の軍が助攻となっていたこと、そして連携を取らず主攻の三軍がそれぞれ独自に同時突破を目指すというザックリとした作戦が呉鳳明を出し抜いたのです。
飛信隊が凱孟を、玉鳳隊が紫伯をと、それぞれ若い将の率いる部隊が魏火龍七師を突破してきたことも呉鳳明の想定外でした。
呉鳳明はこの結末や策自体の若さから、これから中華を率いる自分や李牧の世代(秦でいうと桓騎)とは別に、秦にはさらにその下の世代の台頭もあるのかもしれないと予感したのでした。
そしてこの敗北により魏は著雍を取られただけでなく、魏火龍七師の霊凰・紫伯という大きな戦力を失ってしまいます。
かたや秦は著雍の要塞化を開始し、魏国を滅ぼす意志=中華進出の本気度を中華に示したのでした。
まとめ
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キングダム/©原泰久
著雍の戦いで王翦軍の活躍はなかったということです。
その理由には秦魏趙間の要所を巡る駆け引きと、王翦・王賁親子の確執がありました。
しかし王翦軍を拒否したからこそ、王賁の本音と成長を見ることが出来た気がします。
著雍の戦いは王翦軍の活躍はありませんでしたが、王翦と王賁の関係性を見る上でも楽しめる戦いだと思うので是非その点にも注目してみてください!
