キングダムで信と同世代の秦の武将、蒙恬(もうてん)。
飄々としてつかみどころのない性格をしており型にとらわれない自由な発想を持っています。
しかもイケメンで名門出身という信とは正反対の立場ですが多くの魅力があります。
今回は、漫画「キングダム」での彼の魅力に迫ります。
Contents
【キングダム】祖父は蒙驁で父は蒙武という名門一族
蒙恬の祖父は蒙驁という趙・魏・韓から領土を大きく奪った武将です。
また、父は秦の武力の中では随一である蒙武です。
二人とも秦の礎を築いた大武将であり、そんな名門の家に生まれたのが蒙恬です。
【キングダム】飄々としたお気楽な性格
名門の出自にも関わらず、蒙恬は下賎な身分出身の信にも気兼ねなく話します。
気位の高い王賁とは正反対の性格のようですね。
戦場での服装も派手な独特な服装を着ており目立って行動します。
もっとも平時は信とふざけ合ったりしますが、戦時中は臨機応変に物事に取り組むことができ周囲の信頼もあついです。
さらに、信を助けた時は出自の力を使い利用できるものは何でも利用するという合理的思考の持ち主です。
【キングダム】軍師学校を首席で卒業
弟には軍師志望で才能溢れる蒙毅がいますが、蒙恬もかつては軍師学校に通い首席で卒業しました。
父の蒙武は「ナヨついたガキだが、そこらの千人将よりはるかにものが見えている」と言い、祖父の蒙驁は「蒙家三代でもっとも才能がある」と称しました。
軍師学校時代を主席で卒業したことも彼の抜群の軍事センスゆえでしょう。
【キングダム】本人は文官志望だった
蒙恬は若くして部隊を率いて功績を挙げましたが、本人は文官志望を公言していました。
これは、キャリアのスタートは文官だったという史実に基づくエピソードでしょう。
司馬遷の『史記』蒙恬列伝第二十八には「蒙恬はかつて刑獄に関する法令書を作ったことがある」という記載があります。
また、彼が獣の毛を集めて筆を改良したという逸話も残っています。
軍略家という側面以外にも文官としての能力を持っていた多才な武将と言えるでしょう。
【キングダム】軍才が将として開花
楽華隊という名前の部隊を率いています。
もともと千人将の器でしたが、祖父蒙驁の方針で経験を積ませるため三百人隊を率いていました。
秦魏戦で敵の策略により千人将が激減したため、同じく特殊三百人隊を率いていた王賁や信共々臨時千人将に昇格します。
【キングダム】処罰されそうだった信を擁護
高狼の攻城戦の後、市街で略奪が行われていました。
信は略奪行為のリーダー格である千人将の乱銅を切りつけました。
信は300人将で相手が格上のため斬首は免れない状況でした。
蒙恬は信のまっすぐさに惹かれ信の処罰を一夜投獄にするよう手配しました。
【キングダム】山陽の戦いにて若手三人で策を練り勝利
山陽攻略の際、強大な敵である輪虎と戦うために飛信隊、玉鳳隊、楽華隊が協力します。
そして、信、王賁、蒙恬が協力するとなった際、まとめ役は蒙恬がやります。
しかも自らの部隊が一番流血の激しい激戦地区に行くなど信、王賁を納得させる策を組みます。
結果、蒙恬の策がはまり輪虎は信によって傷を負います。
【キングダム】合従軍戦では最後に大ケガ
対合従軍戦では騰軍に組み込まれ、本陣が危機に陥ると臨時で五千将の役割を与えられます。
蒙武と汗明が一騎打ちを始めると密かに蒙武暗殺に動いた媧偃の動きを察知しこれを防ぐも、勢い余って蒙武と汗明の死闘の場に立ち入ってしまい汗明に斬られ重傷を負います。
その後、合従軍を防いだ後は負傷から回復し、功績によって二千人将になりました。
【キングダム】朱海平原の戦いにて大将へ
朱海平原の戦いで、李牧によって麻鉱将軍がうたれます。
麻鉱が死亡したことにより一時期麻鉱軍は総崩れとなります。
そこで蒙恬機転をきかせ麻鉱軍を立て直しをし4日目の戦いを乗り切ります。
結果、その働きから蒙恬は王翦の計らいで臨時ですが将軍に任命されます。
【キングダム】蒙恬はどこまで乱世を駆け上がる?
蒙恬は珠海平原の戦いで将軍となりました。
それにより将軍として目線で戦場を見ることができるようになります。
信・王賁とともに若手3人組は時にライバルとして時に協力しあい将軍に駆け上がっていくことになるでしょう。
信と出会った時から「天下の大将軍になる」という夢を語ります。
これからますます蒙恬は駆け上がり大将軍になっていくのでしょう。
まとめ
以上、蒙恬についてエピソードを踏まえ語りました。
彼は、軍事のセンスも高く何事にも器用に立ち回ることができます。
若手3人組の中で、癖の強い信と王賁とをうまく協力させるなど知略の面でも優れています。
信の武力や王賁の槍のような高い武力は持ち合わせいませんが、器用に何事もそつなくこなすことができます。
今後の蒙恬の活躍に目が離せません。

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鄴侵攻戦において今のところガクエイ、趙ガリュウを討った信、尭ウンを討った王ホンに武功で一歩先を越されている感のある蒙恬ですが最後は武力ではなく知力において二人を凌ぐ武功を挙げて開戦前、秦王政が「三人揃って将軍になれ」と言った伏線を回収すると思います。
王センの策と秦の武力にじわじわ追い込まれる趙李牧ですが「秦で唯一対等に渡り合えるのは昌平君のみ、この場に昌平君が居ないのであれば王センといえど相手ではない」とばかり鄴陥落の寸前で起死回生の一手で逆に秦を敗北へと追い込むと思います(合従軍の時のカリンのように)負ける戦はしないという王センさえねじ伏せた李牧に最後の最後、王センと李牧の間に割って入るほど戦が見えていると言われた蒙恬の知略により秦の勝利が確定するのでは、と予想します。
この戦の中で成長してずっと寄り添ってくれたじいを失っても冷静に勝利にこだわり王セン、李牧そして師匠である昌平君をも追い越し信や王ホン以上に全中華に名を轟かすのではないかと思います。