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【キングダム】司馬錯とはどんな武将?司馬錯の強さとは?

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本記事では秦の六大将軍のひとり、司馬錯(しばさく)についてご紹介していきます。

秦の六大将軍は中華の列強をふるえ上がらせた前時代の伝説的存在

作中では王騎を中心にその凄さが描かれていますが、司馬錯については殆ど触れられていないんですよね。

そこで今回改めて司馬錯とはどんな人物なのか、作中での活躍から史実での功績までまとめていきたいと思います!

 

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【キングダム】司馬錯のプロフィール

司馬錯は秦の武将で、旧六大将軍の1人

作中では辛うじて顔が描写されたのみであり、人柄や功績などの詳細は不明。

旧六大将軍の中で最もエピソードが少なく、最も謎に包まれている人物です。

 

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【キングダム】司馬錯の特徴

司馬錯の姿は第106話で描かれていますが、眉が薄くツリ目であり、口髭や皺がなく比較的若々しい顔立ちをしています。

 

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【キングダム】司馬錯の強さとは?

司馬錯に関するエピソードが全く描かれていないため、どれほど強かったのかは分かりません。

第106話での描かれ方から予想すると、統率力が高く正攻法での戦いが得意な武将だったような気がしますね。

少なくとも「秦の六大将軍」のひとりであったことから秦屈指の将軍であり、中華全土に名を轟かせる強さを持っていたことは間違いありません

 

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【キングダム】秦国六大将軍とは?

秦の六大将軍とは「戦神」と呼ばれた嬴政の曽祖父・昭王が作った制度であり、『戦争の自由』を与えられた6人の大将軍のことを指します

6人とは司馬錯、白起、王齕、胡傷、摎、王騎

彼らはそれぞれが桁外れの強さを誇り、近寄るだけで敵が平伏し城を明け渡したというほど中華全土に恐れられていました。

当時常に同時に数国と戦っていた秦において、この6人が動きやすいように独断で戦いを展開する権利を与えたのが六将制度です。

“独断で”というのはいちいち咸陽に確認せず現場判断で動けるということであり、これにより刻一刻と変化する情勢・戦況にスピーディーに対応できるようになりました。

あくまでも六大将軍に彼らを任命したのではなく、彼らの圧倒的な強さをさらに活かすべくこの制度が作られたのがポイントですね。

一見、自由であるがゆえに謀反の恐れもある危うい制度ではありますが、6人と昭王の揺るぎない信頼関係により成り立っていました。

また、6人はバラバラに戦っているようでありながらも互いに背や脇を支え合うような働きをしていたためさらに盤石の強さとなり、圧倒的な猛威で秦の領土を一気に拡大しました。

六大将軍は強国・秦の武威を示す存在、象徴なのです。

ちなみに六大将軍という称号は史実にはないキングダムオリジナル設定です。

 

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【キングダム】司馬錯は実在した?

司馬錯は実在した人物で、『史記』を書いた司馬遷の祖先でもあります

恵文王・武王・昭襄王の3代に渡り仕えた将軍で、蜀の併合や楚・魏との戦いで功績を挙げました。

作中でこれといった描写のない司馬錯ですが、史実ではキングダム屈指の人気キャラ・王騎よりも遥かに有名で活躍しています

生没年不詳なので詳しくは分かりませんが、王騎ら他の六大将軍が昭襄王以降に仕えていたのに対し、恵文王から仕えていたのは司馬錯だけ。

司馬錯の最後の記録が紀元前280年で、白起以外のメンバーの記録はそれ以降から始まりますので、作中と違って司馬錯だけ“少し上の世代”という感じのようですね。

だからエピソードが唯一全く描かれていないのかもしれません。

孫の司馬靳が、かの長平の戦いで白起の副将を務めたようです。

 

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【キングダム】司馬錯の功績

史実での司馬錯の最初の記録は紀元前316年、蜀を滅ぼしたことです。

この時、内乱が起きた蜀と秦に攻め入ってきた韓、2つの事態の対応に迫られた恵文王は張儀(宰相)と司馬錯に意見を述べさせ、司馬錯の「まず蜀を滅ぼして国力の増強を図るべき」という意見を採用。

司馬錯を総大将に任命し、そして司馬錯は見事蜀を滅ぼしてみせたのでした。

国土の拡大が楚に対しての優位も生みましたし、ここで蜀を併合し国力を上げたことが、今後勢いを増す秦の勢力拡大に繋がったと言えます。

実際に司馬錯はその後、紀元前311年~280年の間に魏と楚を攻め落としまくるという戦功も多く上げ、さらなる秦の領土拡大に貢献しました。

それに紀元前310年と紀元前301年には蜀の地で謀反が起きますが、どちらも司馬錯が鎮圧しています

とにかく司馬錯は恵文王に信頼された知勇兼備の優秀な人物で、秦の将として長きに渡り力をふるい、まだまだ力不足であった秦を中華で最も警戒される国まで大きくした立役者の1人なのです。

 

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【キングダム】司馬錯は死亡した?

司馬錯は作中ではすでに死亡しています

嬴政が即位した時にはすでに引退、もしくは故人であったと思われ、王騎が六大将軍最後の生き残りでした。

つまり生きた姿が描かれることは今後も一切ないので、何かしら司馬錯のエピソードが出て来ないか期待するしかありませんね。

 

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まとめ

司馬錯は王騎や白起らと共に中華に名を馳せた六大将軍のひとり。

残念ながら六大将軍の中でも唯一一切のエピソードがない謎の人物になってしまっていますが、史実ではキングダムで描かれている秦の中華統一の道のり、その土台の土台を作ったと言える凄い人物でした。

原先生が六大将軍として目をつけただけある、秦の歴史において大いに活躍した人物だったということです。

登場シーンは少なく目立たないですが、史実と併せると見方が変わりますので是非司馬錯に注目してくださいね!

 

読者の皆さまがこの後に読んでいる記事はこちらです。

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⇒伝説の六大将軍といえば白起(はくき)!敵を圧倒する強さは?・・

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