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【キングダム】王弟謀反編の首謀者は蒲鶮だった?蒲鶮は死亡した?その目的とは!?

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本記事では王弟謀反編のキーマンのひとり・蒲鶮(ほかく)についてまとめました。

咸陽を震撼させた成蟜謀反の報せ。

屯留で発生したその衝撃の出来事は、実は成蟜の名を利用した蒲鶮によって起こされていました

それでは蒲鶮は一体どのような人物で、何が目的でその反乱を起こしたのでしょうか。

王弟謀反編における蒲鶮の動きや反乱の結末、黒幕・呂不韋との関係性や史実に存在したかどうかまで、蒲鶮について分かりやすくご紹介していきます!

 

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【キングダム】王弟謀反編のあらすじ

紀元前239年、突如趙軍が秦・北東の防衛の要所・屯留へ進軍したため、咸陽では王弟・成蟜が自身の軍を率いて出陣することになりました。

しかししばらくすると咸陽に「成蟜謀反」という報せが!

そのため咸陽は急ぎ屯留に壁率いる討伐軍を向かわせることとなったのでした。

ところがこの謀反の裏には、成蟜を利用し大王派同士を争わせようとする呂不韋の影がありました

実は成蟜は趙軍を退けた後、呂不韋と通じる蒲鶮という男によって幽閉され、その名で反乱を起こされていたのです。

そうした不穏な空気を感じ取った嬴政は、場合によっては成蟜を救出しなければならないとし、信頼する飛信隊も屯留へ向かわせるのでした。

 

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【キングダム】王弟謀反編は何巻?

王弟謀反編はコミックス34~35巻の出来事です

33巻まで合従軍編が描かれており、王弟謀反編はその後の話になります。

そのためこの時期は蕞で力を示した大王・嬴政の勢力が目に見えて高まっており、呂不韋派との争いが激しさを増していたところでした。

そこで呂不韋は大王派の勢力を削る大胆な策略を実行。

趙の大臣・郭開に働きかけ、趙軍を進軍させることで屯留へ成蟜を誘い出して反乱軍の首謀者とし、成蟜派と嬴政派を争わせようとしたのです。

そして実行者としてその企みに加担したのが蒲鶮でした。

 

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【キングダム】蒲鶮のプロフィール

蒲鶮(ほかく)は屯留の代官。

初登場は第370話でした。

屯留の城主は成蟜の第一夫人・瑠衣の一族ですが、前年の流行り病で一族の男性陣が大勢亡くなってしまったことから、この蒲鶮が城主代行として城内を取り仕切っていました。

しかし裏で呂不韋と通じており、成蟜の名の元に反乱を起こすため成蟜を幽閉

成蟜を裏切った成蟜軍副将・龍羽(りゅうう)と共に「成蟜の謀反」を引き起こしました

 

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【キングダム】蒲鶮の特徴

蒲鶮(ほかく)は眉毛のないタレ目と張った頬骨が特徴の大柄の男性です。

初登場時からいかにも怪しい、不気味な印象で描かれていますね。

 

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【キングダム】蒲鶮の性格とは?

蒲鶮(ほかく)は城主代行として瑠衣の曾祖母にも信頼されていました。

控えめな性格で、文句ひとつ言わず良く尽くす優秀な代官だったようです。

ただしそれは目的を成すための表の顔

本性は「オイ人の話聞けよ」などと口が悪く、何よりとてつもない野心家でした。

 

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【キングダム】蒲鶮の目的とは?

蒲鶮(ほかく)の野心…それは自分の城を得ること

蒲鶮は出生が極貧であったことから、自身の才覚・努力・運によって万の人間の住む城を掴むという野望に並々ならぬ執念を抱いていたのです。

そのためにこの反乱で討伐軍に“首謀者”成蟜の首を差し出し、反乱鎮圧の功を得る計画でした。

呂不韋とはこの屯留をもらう約束になっていたため、蒲鶮は「北東の姫」として屯留一帯で絶大な人気を誇る瑠衣をそのまま妻にするつもりでもありました。

屯留城を得て、正統な血筋である瑠衣との子を作って、名実共に「屯留の王」になろうとしていたわけです。

 

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【キングダム】蒲鶮と呂不韋の関係性とは?

蒲鶮(ほかく)は1年ほど前から呂不韋に計画を任されていました

先述の通り、見返りは屯留。

蒲鶮の抱く野心は呂不韋にとって利用しやすいものだったはずです

蒲鶮は呂不韋の策した段取りのもと、この日のために1年かけて一帯の有力者たちに金をばら撒き手なずけました。

そのため、いざ反乱の際には蒲鶮の雄弁によってすぐさま各城邑の有力者たちが応え、それにより兵・民たちもすんなりと同調。

かくして「成蟜の謀反」は成蟜の姿が見えずとも大きな流れとなっていきました。

流れさえできればあとは呂不韋が真相をどうにでも捻じ曲げられるため、蒲鶮は全ての罪を被せる予定の成蟜の首だけ取れれば良いのでした。

 

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【キングダム】蒲鶮の計画は失敗に終わる?

順調に事を運んでいた蒲鶮(ほかく)でしたが、2つの理由により計画が狂い始めてしまいます。

ひとつは飛信隊が討伐軍援軍としてやってきたこと

もうひとつは成蟜が牢を脱出してしまったことです。

本来は趙軍と共闘して反乱軍大将・龍羽が討伐軍大将・壁の首を持って趙国へ亡命し、蒲鶮はその後に来た討伐軍に成蟜の首を差し出す計画でした。

しかし飛信隊の参戦によって反乱軍は劣勢となり退却。

壁の首を取れなかった龍羽が屯留へ戻ってきてしまったため、屯留での交戦が始まってしまったのです。

予定外の事態に悩んだ蒲鶮は、討伐軍が城内に侵入した際に成蟜の首を刎ねることにしました。

ところが成蟜が脱獄

目的成就のために何より“成蟜の首”を欲する蒲鶮は、急いで成蟜を追うことになったのでした。

 

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【キングダム】王弟謀反編で蒲鶮は死亡した?

蒲鶮(ほかく)は執念で成蟜を追い詰めました。

追っ手により深く負傷していた成蟜を、最後は5人の部下とともに囲みます。

すると成蟜は、ただ1人の護衛となった朱韓と共に死力を振り絞り迎撃

朱韓が5人の兵を押さえつけている間に成蟜が蒲鶮へ突撃し、そして蒲鶮はその必殺の一撃によって討たれてしまったのでした。

武力がないだけにあっけない最期となりました。

 

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【キングダム】王弟謀反編の結末

首謀者・蒲鶮(ほかく)と反乱軍大将・龍羽の死亡により屯留の乱は鎮圧しました

ただし蒲鶮兵により深く傷を負っていた成蟜も死亡

そのため蒲鶮は、成蟜の忠臣たちに屍を誅されることとなってしまったのでした。

しかし真の黒幕である呂不韋は責任を問われていません

糸を引いていると分かっていても呂不韋の力は未だ大きく、そして罰せられるほどの証拠もないからです。

計画は失敗に終わるも呂不韋はノーダメージだったということですね。

結末を見ると、蒲鶮は呂不韋の使い捨ての駒にされたと言えます。

 

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【キングダム】蒲鶮は実在した?

蒲鶮(ほかく)は史実に名が残っている人物です。

記載は少ないですが、名を残したのはまさにこの紀元前239年における成蟜の乱。

成蟜が趙を討った後に屯留で起こしたとされるこの反乱に、蒲鶮も加担し鎮圧され、亡骸が辱められたと言います。

ただし乱の詳細は不明ということで、実際に成蟜が反乱したのか『キングダム』のような呂不韋が絡むドラマが起きていたのかは分かりません。

概ねは史実通りであるものの、野心的な蒲鶮像はオリジナルということですね

 

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まとめ

蒲鶮(ほかく)は屯留で成蟜を幽閉し、その名を利用して反乱を起こした人物。

成蟜謀反の首謀者だったわけですが、実はその後ろでさらに呂不韋が糸を引いていました。

結末を見ると呂不韋に利用されたという可哀想な印象が強いですが、城を持つという明確な野心を抱く蒲鶮は注目に値する人物だったと思います。

王弟謀反編は是非蒲鶮という人物の背景を感じながら読んでみてください!

 

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