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【キングダム】合従軍編の肝となる函谷関防衛戦!秦は合従軍に勝利できるのか!?函谷関防衛戦の全貌とは?

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李牧が秦を滅ぼす為に起こした合従軍。

秦国全戦力を集結させ挑んだ函谷関防衛戦

その全貌を紹介していきます。

 

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【キングダム】合従軍編とは?

紀元前242年、秦が魏の山陽を攻略しました。

山陽は秦が中華統一する為に、絶対に必要な要所だったのです。

国境の領地は、取って取られての繰り返しだったこの時代に、秦は山陽の名前を「東郡」と変え、秦民を大勢移住させたのです。

これは秦が東郡を絶対に敵国に渡さないという意思表示でした。

秦が山陽を手に入れた事で、東の大国であった秦が本格的に中央に進出してくると危惧した李牧と楚の宰相である春申君は、密かに秦を滅ぼす計画を立てます。

それは秦を除く六国連合軍で、秦に同時に攻め込み滅ぼそうというものでした。

李牧は六国を説得し、秦の山陽攻略の翌年の紀元前241年に、合従軍が結成されたのです!

斉は秦の文官である蔡沢の説得により、合従軍を離脱しますので、正確には五国対秦という構図になります。

合従軍編において、秦対合従軍の中華をかけた戦いが幕を開けるのです!

 

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【キングダム】函谷関防衛戦で名武将が大集結!

五国から同時攻撃を受けた秦は、戦力を分散させて各国に対応しても勝ち目はないと判断し、ほぼ全ての戦力を函谷関に集結させて戦う事にします。

秦国総司令の昌平君は、模擬戦で100回戦って20回勝つ策を創り上げます。

5回に1回は勝てる計算でした。

そして秦の名だたる将軍達を咸陽へ呼び、今回の作戦を伝えます。

集まった将軍は蒙武、騰、桓騎、張唐、王翦、麃公、蒙驁の7人でした。

この7人が一同に揃うのも中々ない事で、非情にレアな状況ですね。

それに加えて函谷関には、信、王賁、蒙恬などの若手から、壁や元王騎軍の軍長達など、秦が抱える武将全てが函谷関に集結したのです。

文字通り総力戦となるのです!

 

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【キングダム】麃公・信VS慶舎・万極

秦軍最右翼に配置された麃公軍に飛信隊も組み込まれます

相対すは趙軍で、副将慶舎を筆頭に真ん中に李白、右に公孫龍、そして左に万極が陣取ります。

野生の獣並みの鋭い感覚を持つ麃公対「沈黙の狩人」の異名と持つ慶舎の戦いは、麃公の突撃によって戦いの火蓋が切って落とされます。

麃公軍と飛信隊の攻撃力は凄まじく、正面の李白軍を圧倒します

しかし妙なことに「守備の李白」と異名をとる李白が、何の策も施さないのです。

何故?

これは慶舎の罠だったのです。

本能型の麃公の勘の鋭さを逆手に取る為の布石でした。

慶舎は右に位置していた公孫龍軍を、意味なく10歩前進させます。

麃公は勘の鋭さからこの動きに反応してしまいます。

狙いを公孫龍軍に変更し、右に突撃を開始してしまいます。

慶舎はこの時を待っていたのです。

右に突撃し始めた麃公軍の背後から趙軍左に陣取っていた万極軍が襲いかかったのです!

突然疲れ切っている後方を急襲された麃公軍は、為す術なく蹂躙されていきます。

しかしこの時、勢いよく突撃をしている麃公軍を後戻り、後方を助けに向かった部隊がいました。

信率いる飛信隊でした!

勢いよく突撃している軍を後戻るという行為は、まさしく自殺行為と言ってもいいくらいの行為なのです。

飛信隊の決死の後戻りによって壊滅を免れた後方麃公軍は、飛信隊と共に万極軍を迎え撃ちます。

数で劣る秦軍でしたが、互角の戦いを繰り広げます。

結局、麃公は慶舎を打ち取る事は出来ませんでしたが、信が万極を討ち取るという快挙を成し遂げるのです。

 

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【キングダム】蒙驁・張唐・桓騎VS呉鳳明・成恢

函谷関攻防戦において、肝心要の函谷関守備を任されたのは、蒙驁、張唐、桓騎の3人でした。

一方、合従軍側で函谷関突破の役目を担ったのは、魏の呉鳳明と韓の成恢でした。

函谷関の城壁は井闌車が届かない高さで設計され、造られていました。

しかし、兵器開発の天才である魏の呉鳳明は、普通の井闌車にもう一段階上まで届くよう開発した巨大井闌車で、函谷関に初めて橋を架けるのです。

更には、通常の何倍もの大きさの巨大床弩も造っており、綱をつけた弩を城壁に打ち込み、兵士が登れるようにしたのです。

色々な天才がいるものですね!

韓の成恢は毒兵器の開発に人生をかけた武将です。

毒兵器に手を出す前は、男でさえ色気を感じてしまう程の美男子だったそうです。

しかし、毒兵器の開発により、肌はどす黒くなり、血管が浮かび上がってしまい、とても醜い容姿に変わってしまったのです。

そんな成恢の毒兵器を張唐はくらってしまい、瀕死の重体となってしまいます。

呉鳳明の攻城兵器により函谷関上に魏兵が登ってきてしまい、尚且成恢の毒兵器のせいで張唐軍の持ち場は大混乱をきたしてしまいます。

そんな中、桓騎は大胆不敵な策を実行します。

魏兵に扮し、なんと呉鳳明の井闌車で地上に降りるのです!

余命わずかとなってしまった張唐も、桓騎の策に乗り共に地上に降り立ちます。

狙うは合従軍五大将の一人、韓軍総大将である成恢の首でした。

地上は函谷関を攻撃するのに必死で、魏兵に扮した秦軍に全く気づきませんでした。

それを見越して桓騎はこの策を立てたのです。

そしてたった400騎で韓軍に突っ込み、最期は張唐が最後の力を振り絞り、成恢を一刀両断するのです!

しかしながら力を使い果たした張唐もまた、命を落としてしまうのです。

秦軍将軍としての最後の意地でしたね。

成恢は討ち取られてしまいますが、呉鳳明は最後まで諦める事なく攻撃し続けるのです。魏軍総大将呉鳳明の名は、合従軍編をきっかけに一躍中華全土に知れ渡る事になるのでした。

 

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【キングダム】蒙武・騰・蒙恬・王賁VS汗明・臨武君・禍燐

秦軍最大戦力を誇る蒙武・騰軍の相手は、同じく合従軍最大戦力を誇る楚軍でした。

合従軍を撃退するには、合従軍の武の象徴である楚軍の汗明を討ち取らねばなりませんでした

秦軍総司令の昌平君は、汗明を打ち取る為の策を蒙武・騰に授けます。

昌平君の策とは、とにかく蒙武軍を無傷のまま汗明軍にぶつけるものでした。

という事は、騰軍で臨武君軍と媧燐軍に勝たねばなりませんでした。

騰は楚の第一軍大将である臨武君を圧倒し、見事に討ち取ります

これは初日で起きた番狂わせでした。

まさか初日で楚将が討ち取られるとは誰も思ってはいなかったのです。

さすがは騰です!

しかし楚の第二軍である媧燐が相手になると、状況は一変し苦戦を強いられます

逆に媧燐軍に騰本陣を急襲されますが、騰軍に配置された若き千人将である、蒙恬と王賁の機転により、本陣陥落を防ぎます。

そして合従軍編の最高武力同士の激突になった、蒙武対汗明

お互いに絶対に負けられない戦いでした。

秦にとって合従軍の武の象徴である汗明は、絶対に討ち取らねばなりませんでした。

そして汗明を打ち取れるのは蒙武しかいなかったのです。

汗明は超大国である楚の大将軍であり、今回の合従軍の総大将を務めるのは、楚の宰相である春申君でした。

汗明が負けるという事は、大国楚が負ける事を意味し、合従軍そのものが負ける事を意味するのです。

お互いの国の命運をかけた意地のぶつかりあいは、序盤押されていた蒙武が終盤で押し返し、自力に勝る汗明の頭を砕くのです!

合従軍との戦いで、蒙武の名も中華全土に知れ渡る事になるのです。

 

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【キングダム】王翦VSオルド

対合従軍において、盾の役割を担っていたのが実は王翦でした。

王翦といえば自分が王様になりたいと思っている、超危険な思想の持ち主でしたよね。

それ故に、秦国の武将において最も危険人物とされていました。

そんな王翦が守るのは左翼で、対するは今回の合従軍が初登場となった燕国大将軍オルドでした。

オルドは山岳育ちで、燕国の大将軍にして50もの山岳族の王なのです。

そして山の地形を読み取る「山読み」の達人でもありました。

左翼の戦いは、函谷関の左にある山を燕軍が抜けるか、王翦が守り抜くかの攻防になるのです。

王翦は対廉頗戦でも見せたように、砦化の達人でした。

対するオルド軍の主力は山岳族で構成されたおり、山での戦いは望む所でした。

開戦時から一進一退を繰り返していた王翦対オルドでしたが、オルド軍の主力がついに王翦の砦の心臓部分を攻略します。

これにより王翦は、すぐさま砦を捨て退却します

こんなにあっさりと決着がついてしまうのか?

ってそんなはず無いですよねw

王翦が本気で退却したと思ったオルドは、悠々と軍を進めます。

そして函谷関裏へ通じる断崖絶壁を前にします。

「山読み」の達人であるオルドの読みは完璧でした。

山岳族にとっては何でも無い断崖絶壁を、次々と登っていくオルド軍。

しかしここで思いもよらぬ事が起きます!

背後から無数の矢が放たれたのです!

放ったのは退却したはずの王翦軍でした。

オルドは驚愕します。

それもそのはず。

オルドが把握している王翦軍は、今いる場所とは真逆に退却したはずだったのです。

何故今ここに王翦が?

実は王翦は、開戦前からこの断崖絶壁の前が戦場になると読んでいた為、予め伏兵を用意していたのです。

オルドは最初から完全に、王翦の想定していた通りに動いていただけだったのです。

主力8千人を失ったオルドは、再び姿を消した王翦軍の動きを捉える事が出来ずに、王翦の砦まで後退し、そのまま合従軍を終える事になるのです。

オルドを最初から最後まで手玉にとった王翦はさすがの一言でしたね!

 

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【キングダム】函谷関を防衛できた秦軍

合従軍の武の象徴であった汗明を討ち取った事で、戦況は秦に大きく傾きました

函谷関突破が役目の魏の呉鳳明は、蒙武軍が来る前に函谷関を抜こうと、攻めを更に厚くします。

そんな時李牧の元に媧燐の伝者が媧燐からの伝言を伝えます。

勝利は目前。総司令様は函谷関をくぐる準備をされたし

今しがた汗明が討たれ、攻め手が減少したはずでした。

媧燐の伝言の意味は?

媧燐の精鋭兵は1万人いたはずでしたが、いつの間にか5千人になっていたのです。

残りの5千人はどこへ?

媧燐の自由奔放な動きに目がいき、誰も気づきませんでした。

実は残りの5千人は既に函谷関裏に到着していたのです。

媧燐は人知れず、自軍を半分に分け函谷関裏へ向かわせていたのです。

函谷関の裏を取った媧燐軍は一気に攻め込み、城門を占拠します

完全に虚を突かれた秦軍は大混乱をきたします。

城門を占拠され、内側を塞いでいる巨岩を次々に取り除く媧燐軍。

もはやこれまで・・・誰もがそう思いました。

その時でした!

オルド軍と戦っていたはずの王翦が突如現れたのです!

占拠された城門を再び取り戻し、媧燐軍を殲滅するのです。

函谷関は陥落寸前で王翦に救われ、なんとか防衛に成功するのでした。

 

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【キングダム】李牧は次なる作戦へ

合従軍の武の象徴である汗明が討たれ、その後の蒙武の追撃で楚軍そのものが大打撃を受け、媧燐の函谷関裏急襲も失敗に終わり、合従軍は窮地に立たされます。

函谷関を抜く事が極めて困難になってしまった合従軍は、開戦時の位置までの後退を余儀なくされます

秦はほぼ確実に勝利を掴んだはずでした。

はずだったのです・・・

合従軍が後退したその日の夜、李牧は人知れず本陣を離れます。

その3日後、王都咸陽に不思議な報告が届きます。

函谷関とは別方向の南道にある「華沙」という小都市が敵襲を受けたのです。

何故こんな所が?

南道を咸陽方向に進めば、華沙の次にある小都市「宋」と「卵」も何者かの攻撃を受け落とされてしまうのです。

更にその後の城「内府」まで・・・

内府を落とされた時点で敵の正体が判明します。

李牧!!!!

なんと李牧は函谷関攻防戦が始まった当初から、秘密裏に少しずつ兵士を南道に送り込んでいたのです。

函谷関を抜く事が出来なくなった時の奥の手を、既に考えて行動していたのです。

この李牧の別働隊の南道侵攻は、秦国を恐怖のどん底に落としたのです。

 

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【キングダム】麃公の前に立ちはだかる龐煖

南道ルートは狭路で大軍には不向きで、咸陽へ続く防衛都市も強固である為、敵が侵攻してくる事はまずあり得ないルートでした。

秦国の王宮内は、為す術ない状況に活路を見いだせないでいました。

敵味方双方の虚を突いた李牧の南道攻略でしたが、唯一気づいた武将がいました。

鋭い洞察力を持っていた麃公でした。

李牧の後を追った、各国の精鋭兵が移動する際の砂煙を逃さなかった麃公は、直感で危険を察知します。

麃公の直感に賛同した飛信隊隊長である信もまた嫌な予感がし、麃公と共に南道を進みます

そして李牧軍に追いついた麃公軍と飛信隊は、李牧軍を背後から急襲します!

李牧の繰り出した「流動」という陣形をも初見で攻略した麃公は、ついに李牧を眼前に捉えます

しかし、ここで李牧と麃公の間に龐煖が割って入ってきたのです。

王騎をも討ち取った龐煖と麃公の一騎打ちが始まるのです!

 

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【キングダム】戦場は蕞(さい)へと移る

戦場の申し子 麃公対武神 龐煖。

2人の一騎打ちは、終始龐煖が圧倒します。

龐煖は王騎戦の時より、パワーアップしていたようでした。

六将にも引けを取らないと言われていた麃公の武力を持ってしても、龐煖を打ち取るどころか互角に持ち込む事すら出来ませんでした。

しかし麃公も秦国将軍の一人!

左腕を斬られながらも、右手一本で握った矛で龐煖を力で押し込みます

それまで余裕すら見せていた龐煖が、完全に力負けしていました。

龐煖はなんとか麃公の矛を弾き返しますが、左腕を折られてしまうのです。

麃公は信に自分を助けには来ずに、咸陽に向かうよう指示し、

火を絶やすでないぞぉ

そう言って龐煖に斬られ、この世を去る事になってしまいます。

頼みの綱であった麃公をも失った秦国は、いよいよ窮地に追い込まれます。

亡国の危機に立たされた国王政は、自らが陣頭に立ち、咸陽の喉元の都市 蕞で李牧の侵攻を食い止める為に咸陽を後にします。

そして、命からがら蕞にたどり着いた飛信隊と麃公軍残党兵や壁と共に、李牧を迎え討つのです!

 

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まとめ

函谷関をなんとか防衛した秦軍。

喜びも束の間、李牧の南道攻略で再び窮地に追い込まれます

そして舞台は合従軍編最後の戦い、蕞攻防戦へ!

 

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